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羽化と専業主婦 05/08/28

 天蚕が羽化しました。23日火曜日の朝のことでした。妻に大声で呼ばれ、寝ぼけ眼で風除室に駆けつけますと、蛇の目模様のある大きな蛾が一頭いました。後で分かったことですが、すでに他の2頭は知らぬ間に羽化し、消え去っていたのです。幼虫を持ってきた友と電話で相談し、雌だと知った上で、風除室の窓を開け放ちました。先に逃げ去った2頭の中に雄がいたかもしれませんし、近隣に野生の雄がいるかもしれませんから待ち受けられるようにしたわけです。

 先週末は出雲で荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡を見学し、日曜日は松江で小泉八雲に触れています。1984年の夏、358本もの大量の銅剣と、次々と銅矛と銅鐸がすぐ側から発見され、古墳時代の歴史を書き換えた現場の見学と、西欧人の目に映った明治半ばの日本の姿に触れたわけです。だから、2000年程前に渡来した弥生人があい争いながら土着の縄文人と交わってゆく古墳時代を連想したり、八雲が小泉セツを通して理解した日本人女性に対する印象に思いを馳せたりしたのですが、なぜか10日余り前に知ったエチオピアのある文化を思い出しています。

 ハラルでは郊外のオローモ族の住居を訪ねただけでなく、旧市街(城郭内)でも代表的な庶民の住居に踏み込ませてもらい、生活ぶりに触れています。そこでもある代物が目にとまりました。イグサのような植物を編みあげた籠や笠のような代物です。アルチュール・ランボー記念館でもそれを飾っていたことを知り、エチオピアの紙幣を取り出しています。そして若い女性がその代物を編む姿が紙幣に刷り込まれていたことを確認し、ただならぬ興味を覚えています。

 エチオピア (少なくともオローモ族の文化圏、あるいは伝統を重んじる地域?) では、この代物をうまく編み上げることが女性の結婚資格になっている、と聞かされました。今も洗濯をタライでする社会であり、女の子は幼いときから農業などに携わって生計を支えていますが、年頃になれば籠などを編み始めるわけです。その出来栄えは造り手の器用さとか根気のよさはもとより母から引き継いだ才能や美的センスまで語りかけます。炊事や洗濯、裁縫や家屋の手入れ、子育てや家族が病気になったときの看護など、家庭を営むうえで不可欠となる技や術を身に付けたことを示すだけでなく、専業主婦として羽化する決意の程まで示しているようです。家屋の最も大切な部屋の、最も目立つところに、代々の主婦が編み上げた作品を飾っていました。

 文明国の私たちは、農業国の人たち対して優越感を抱いていますが、それは人間(衣の着用や食の調理などを始めた動物)としての生きる資格を欠いても、当人の意向だけで結婚できるように自動器機や分業システムなどを発達させて来たからかもしれません。もしそうだとすれば、反面では停電や断水ひとつでパニックになったり収入が途絶える肩たたきを恐れたりする生き方に追い込まれていたわけですから、喜んでばかりいられません。それはともかく、近頃では専業主婦という言葉が無能力者のような印象を抱かせかねない社会になっていますが、残念です。

 こんなことを考えながら、久しぶりで妻と庭仕事に精を出しました。カボチャやトウモロコシの畝の草抜きなど整地と堆肥運びは妻が担当し、私はその跡を耕して畝に仕立て、妻がブロッコリーの苗を植えたり白菜や小松菜などの種をまいたりしました。アフリカの野生の豆、ヤブツルアズキやカウピーが大きくなっていましたから私が支柱を立て、妻は中庭の巡回路の除草をしています。大根、人参、コカブ、花菜、日野菜の種をまく畝造りやカキチシャと水菜などの苗床造り、ラッキョの植え付けなどが急がれています。異常な乾燥が続き、泉が枯れていますから、その整備もしたく思っています。嬉しいことに、23日に羽化した天蚕の蛾は、夕刻の明かりにつられて2日続けて帰ってきたり、ついには産卵したりしています。

羽化した天蚕です。繭を最後(7月18日)に作った分でしょうから、36日目の羽化となります。私たちは当初、最初に繭を作った分が羽化したものと思ったのですが、妻が近所の友のお孫さんに蛾を見せてあげたときに、繭が3つとも空になっていたことに気付きました。妻は先の2頭が羽化したことにどうして気付けなかったのか、とても不思議がっています。

出雲の荒神谷遺跡です。なぜか私は現場で、銅器を急いで埋める古代人の姿をまぶたに浮かべましたが、資料館で埋めて隠そうとしたとの説があったことを知り、不思議な気分になりました。同じ成分の金属で再現した610grの銅剣を手にとりましたが、その黄金色に近い輝きなどを確かめ、祭祀用であったとの説に納得しました。

丹精込めて編み上げた品物が、各家庭の最も大切な部屋に飾られていました。随分古い代物もありましたが、何世代にもわたって飾り立ててきたのでしょう。そうと気付いたときに、その家のおんな主が先に立ち、すべての部屋の案内にたってくれました。でも一部屋だけ見落としています。その一部屋を除く他の部屋にご興味がおありの方はこの写真をクリックしてください。
エチオピアの10ビル(約120円、ちなみに、ブラックコーヒーは一杯1ビル、カプチーノは2ビルでした)紙幣です。娘たちの日常は母親に習い、農業を手伝ったり柴やイモや果物などを頭に載せて遠方の町まで売りに出かけたりしていますが、年頃になるとこの草を干し上げて幾色にも染め分けることから手をつけ、寸暇を惜しんで編み上げるのです。
100年余り昔の日本女性に対する八雲の印象です。だから八雲は帰化したのでしょうが、こうした女性は本当に幸せであったのか。男性の理想の世界に閉じ込められ、自己実現の余地を狭められていたのではないか。今日は逆に、欲望の解放を人間の解放(自己実現)と誤解させがちですから、物欲や食欲などの餓鬼にされてしまいかねません。八雲の印象にご興味のおありの方は、写真をクリックしてください。

夕刻になると蛾は2日続けて帰って来ましたが、日毎に羽が痛んでいまいた。26(火)の夕刻は帰ってこず心配したのですが、土曜(27)の朝、風除室で産卵しているところを妻が見つけました。その後で、またどこかえ飛び去りました。この蛾より3日ほど前に羽化したはずの蛾はついに姿を見せずじまいでした。この蛾の様子をもう少し詳しく知りたい方はこの写真をクリックしてください。

スモモの木に現れた毛虫(左)とニンジンの葉についたキアゲハ(右)の幼虫です。私の老眼には最早この毛虫の幼虫は見つけられません。妻にはまだ見えるようで、高枝切りを持ち出してきて枝ごと切り取り、踏みつけています。どうして有毒の毛虫は大発生し、キアゲハなど無毒の蝶は数が少ないのでしょうか。バランスを保つために苦労します。