丹後旅行 |
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加悦町の古墳公園の一角です。わが家から車を127km飛ばしたところに、全長145mの前方後円墳をはじめ664基もの古墳があります。加悦町では1600年前の表日本に夢を馳せました。今は裏日本と呼んでいますが、裏日本と見ていてよいのか。
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表日本と気付かせそうな地図がありました。ロシアや中国から見ると、日本列島はアメリカを背にして立ちはだかる翼を広げた巨鳥のようです。だから中曽根さんはレーガンさんに、日本を不沈空母と説得したのでしょう。同じ思いが、小泉さんをミサイル防衛構想に走らせているのかもしれません。
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出土した土器です。大きくて多彩な土器がたくさんあり、驚きました。
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煮炊き用? エジプトの下町を旅したおかげで、底がとがっていたわけが分かったような気分です。土に刺して立てやすいだけでなく、強い火で割れやすい素焼きの土器を割れにくくする知恵ではなかったでしょうか。
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往路の昼食はピクニック気分でした。加悦町古墳公園のそばで車をとめ、道中で仕入れた食べ物を拡げ、運転を受け持った友の立場をかえりみず、ビールをあおりました。暑い一日でした。
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旧家の格子窓の細工です。古墳公園から2kmほど走ったところに丹後縮緬発祥の地との石碑が立つお宅がありました。その格子窓です。 |
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大きな踏み石に施された浮き彫りの細工です。丹後縮緬御三家の流れを汲む杉本家の座敷の前にありました。当時の石工の技や美意識も伝わってくるようでした。ちなみに御三家の残る二家は、木綿屋六兵衛家と、同道したアイトワ塾仲間の後藤家です。
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地球デザインスクールでの夕食です。日本海の幸をふんだんに生かした手料理でした。地球デザインスクールは加悦町から25kmほど走ったところの波見町にあります。スピーチはこの夕食の後でした。
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復路では先ず伊根に立ち寄り、干満の差が少なくない海から舟屋を眺め、その歴史を学びました。伊根は地球デザインスクールから10kmぐらいのところにあり、今も230戸の舟屋が並んでいます。この後、大回りして半島の最北端にある経ケ岬経由で碇(いかり)高原に行きました。
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復路の昼食は碇高原牧場のステーキハウスでとりました。伊根から30kmほどはなれたところにありました。私は地ビールとヘレ・ステーキを楽しみました。
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碇高原牧場では牛舎も見学しました。京都府が管理しており、酪農家から雌牛を預かり、受胎させる仕事も請け負っているようでした。
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牧場で捕らえられていたイタチです。牛の資料を食べるネズミを狙って来るのでしょう。もしそうなら、私ならネズミの天敵としてイタチも大事にします。大きなアオダイショウも2匹見かけました。
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碇高原牧場から6kmほど走ったところにあるスイス村で、風力発電機を見ました。高さは50mもあります。
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丹後縮緬歴史館の一角で見た縮緬にする強撚糸をつくる機械です。スイス村からおよそ40kmほど走ったところにありました。そこから130km走り、わが家にたどり着きました。
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