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真摯に土に立ち向かう 05/10/24

 新たに手にする電動具の試し使いをし、セリンセやエンドウマメの種まきや内庭の草抜きだけでなく妻とツルムラサキの葉摘みや柿取り、あるいはツルムラサキの跡を畝に仕立てたりイノシシ坂の掃除をしたりするなど庭仕事に精を出しただけでなく、2つの道しるべの新調や仕事部屋にある下駄箱の補修のほか、風呂焚き座の新調にも手をつけるなど大工仕事にも手を染めた1週間でした。食の面では、秋田から「きりたんぽ」を送っていただいたのを幸いに、思うところがあって鍋料理を重ねました。先週大垣で手に入れた味噌煮込みうどんや昼食のパエリャなどです。風呂は過日秋田から届いた書籍を読みながら焚いています。寝酒は先週大阪で買い求めたアゴを肴に温燗を傾けたり頂き物の紫頭巾でビールを楽しんだりしました。

 2つの道しるべとは、1つは前の道を行く人のための行き先案内で、もう1つは庭に入った人が喫茶や人形工房の方向と居宅への方向を間違わなくても済むようにする案内です。これまでの分は庭を開放した1986年の春から使っており、風雪で随分痛んでしまったのです。道行く人用はこの秋から、来客用の方は新年から取り替えることにしました。下駄箱の補修とは内部の棚の造り替えですが、道しるべ造りで電気鋸を取り出したついでに手を付けたものです。妻が愛犬用のバスタオルを仕舞っており、しかも犬ごとにバスタオルを変えていますから、その棚をしつらえました。風呂焚き用の座は、来週中には完成させ、その週末から下ろす心積もりをしています。

 柿取りは、収穫よりも掃除といった感じです。虫食いの柿が軟らかくなってポトポト落ちる季節ですが、頭の上に落ちてこないように前もって取り除いたのです。新たな電動具は、コンクリートや金属の切断も可能なグラインダーです。どうしてこの切断器を今まで買い求めなかったのか反省です。廃物の金属パイプを切断し、森の囲炉裏を雨から護る傘たての基礎として生かしました。立て続けに鍋料理を試みたわけは、2年目に入った産経新聞のコラム『自活のススメ』で、シイタケの春子(はるご)が出る頃に幾種かの鍋料理を取り上げたいと思ったからです。

 商社時代の亡き友の息子が久しぶりで関東から訪ね、母の仏前で手を合わせてくれました。この青年の父親とは夫婦で行き来する仲でしたから、人生の一角が欠けたようになっています。その息子は学生時代に泊りがけで遊びに来て母に孫のように扱われたり、私が仲人をしたりした関係で時々訪ねてくれます。今はサラリーマンを辞めて、亡き父の会社を継承しています。

 日本の農政に通じた友を迎え、パエリャを食した上で「麦の家」に案内してもらいました。麦の家は、昨年の秋からこの19日まで京都新聞が20回にわたって紹介しています。今は二代目ですが、真剣かつ真摯に家族で土に取り組み、自足率の高い生活を貫いておられます。私たちは同じテレビ番組で紹介されたこともありますし、京都教育大学の先生に学生の引率先として共に選んでもらっていますから旧知の友のように話がはずみ、辞する挨拶をしてから車が動き出すまでにさえ半時間を要しています。その間に、田の畦で紫頭巾を採ってもらったわけです。この家族は私たち夫婦よりもこまめに立ち働かなければいけない生き方ですから、たとえ10分といえども無駄にはしたくないはずです。だから逆に、一服の清涼剤のような時間も求めます。それに私たちが値していたのかどうか、気になります。午後をつぶさせてしまったので巣。

 週末は、まず妻と庭掃除をしたうえで保母さんたちを迎えました。未来は今日の延長線上にはないとの予感をえた人たちでしょうじか、私をスピーカーとして迎え、自然と仲良く生きる価値を語れ、と言ってくださっています。その事前見学でした。どのような未来を迎えても逞しく生きる子どもに保育してもらいたいものです。午後から泊りがけで金沢に向かいます。



きりたんぽ鍋です。明治初期に秋田で創業したという料亭が、きりたんぽと出汁だけでなく比内地鶏のかしわやマイタケなどすべての食材まで用意したものをクール宅急便で送ってくださいました。その夜、妻は台所に立つ時間が短くてすみ、1時間近く余分に人形創りに打ち込めんでいたようです。

きりたんぽを造るときに用いる棒です。人形教室には秋田出身の方もおられ、私がきりたんぽに興味を抱いたことを知り、「木都」から取り寄せた杉棒を下さいました。そのお宅では、某紡績の社長をされていたご主人がきりたんぽを作られるそうです。この冬に、私は焼き上げたきりたんぽの日持ちを試し、その価値を掘り下げたく思います。

ペンキを塗り直したりしながら20年近くも役立たせた来客用の道しるべです。新しい道しるべは、20年の歳月が喫茶で生じさせた廃物を利用していますが、それは設置したときにご紹介いたします。新たな道しるべは20年以上もちそうですが、私の命とどちらが先に尽きるのか、とても興味があります。
秋田から送っていただいた自費出版本です。干拓地大館村は米不足の時に始まり、完成時は米余り時代になっていました。国家は、主食問題ですらほんの30年先の見通しが立っていなかったわけでしょう。それはきっと陰湿な争いを生じさせたはずです。その原因は、自然(土)に根ざした生き方をしていない人が、机の上で頭だけ絞って描いた絵餅にあったはずです。
森の囲炉裏にかける雨よけです。この囲炉裏の主目的はカリ肥料にする灰造りです。その灰を急な雨から護るために傘を立てたかったのです。実はその雨よけ屋根を作る木材や波板までそろえたのですが、もっと手軽に出し入れや収納ができるものをと思案した結果、バーゲンで買い求めたビーチパラソルを生かしたわけです。だから、抜き刺し自由の基礎が必要になったわけです。

麦の家の水田の一枚です。座敷の客人と稲穂の高さが目線を同じにするように、水田が一段高くしつらえられていました。水漏れを防ぐために広い畦が必要など、米の収量だけを考えれば不経済ですが、この水田を造った主の、主食(食糧問題)に対する真摯で真剣な態度が伝わってきました。こうした態度を体で会得しようとしない人が画餅を描き続ける国家の体質は、早ければ10年足らずで陰惨な食糧問題を生じさせかねないでしょう。次回は欠乏が問題ですから深刻です。

妻は、麦の家で富有柿の落ち葉を拾いました。そ木の手前に秋一番に稔る品種もありました。大きさは富有柿なみですが、少しとんがりかげんに中高で、熟れるとやや赤みをおびます。過日スーパーの店頭でその品種を見知っていました。今年はわが家の柿が豊作ですが、来年は不作(農薬を使いませんから)のはずですから、「来年買って食べてみようね」と話し合っていたところです。