消費者のままで死んでたまるか
 

この想いを新たにしています。かつて強く意識したことがあるこの想いを、朝日カルチャーセンターの大阪教室で「次の生き方----清豊を求めて」という講座を受け持ち、来年1月から反芻する機会を与えられたからです。

1962年に私は伊藤忠商事に入社し、人並みにお誂えの背広を着て勤め始めています。17年後に辞めたときは、世の中では背広はもとより衣料品はほぼ既製品化していました。

私が社会人になった頃に、アメリカではケネディー大統領が「われわれは皆、コンシューマー(消費者)である」と国民に呼びかけ、『消費者教書』を発表しましたが、その頃のわが国ではまだ生産者として呼び合っていました。畳屋さん、お魚屋さんの奥さん、代書屋のお嬢さんなど。しかし17年後には消費者という総称が定着していました。

わが国の消費者の誕生と既製服化に私はおおいに関わっています。団塊の世代を主要なターゲットと位置づけ、量的だけでなく質的にも期待すべき世代と睨み、既製服化に励んだからです。それまでの流行は「上の風、下之に倣う」でしたが、いち早くファッションリーダーの逆転を予見した私は、伊藤忠ファッションシステムという子会社を作らせてもらい、「下の風、上之に倣う」を社会現象化させることに努めたからです。

週末は逆に、わけあって開墾や植樹に明け暮れる私生活を繰り広げ、「時代に逆行」と笑われています。そのわけは朝日カルチャーセンターで触れますが、土地は病床にあった父が、戦時中に妻子に買い与えた開発地です。農業で生き延びさせたわけです。その後、父は一命を取り留め、世の中も豊かになり、放置されました。18歳のときに私は再開墾に手をつけ、20歳から植樹を始め、その後その手を休めていません。

この公私の間を行き来している間に、瞼に一つの像が浮か結ぶようになりました。私は転職していた神戸のワールドを辞め、2年近くかけて『ポスト消費社会の旗手たち』との副題をつけた処女作(朝日新聞社刊)を1988年に上梓しています。その後、いち早く「環境問題に真摯に取り組むことが利益の源泉になる社会の到来」や「顧客満足」の必要性を予見し(『人と地球に優しい企業』講談社1990)、日本で最初に「企業の社会的責任」を叫ぶ一書(『「想い」を売る会社』日本経済新聞社1998)も著わしています。

コンシューマーという言葉はアメリカ生れですが、「使い尽くす」とか「食べ尽くす」という動詞のコンシュームから派生しています。この経緯を知ったときの私は言い知れぬ不安を覚えています。勤労時間は「消費者は王様さまです」と囃やし、余暇時間は消費者になって浮かれる人生。まるで消費者ごっこのような人生がやりきれなくなったのです。このときの不安は、今や若者を「あなたのお金は必要です。しかしあなたはいりません」とばかりに扱ったりニートにさせたりする現象に結びついた、と思えてなりません。

消費者ごっこで終わってたまるかとの想いは、私生活での生産活動に拍車をかけ、次第に創造の喜びに覚醒させています。やがて妻は人形つくりに手を出し、人形作家と呼ばれるようになりました。こうした経緯もまじえながら、清貧ではなくて清豊の生き方を手に入れる秘訣を、「これまでの生き方と、その落とし穴」とか「循環型社会に見出しうる本当の豊さ」や「太陽の恵の範囲で清豊を目指す生き方」とのテーマの下に3回にわたって掘り下げ、しかるべき「次の生き方」を提唱したいと考えています。

植樹を始めてから半世紀近くが経過しましたが、今や庭は約200種1000本の木が繁り、エコライフガーデンと自称するまでになっています。それは維持管理で生活を圧迫する観賞用の庭ではなく、野菜や燃料などを自給し生活を潤す循環型の庭です。できれば講座の期間内に受講者をこの生活空間にご案内したいと思っています。

生活基盤に土を据える生き方を手に入れたい人にとっては、今日は絶好の機会を迎えている、と私の目には写っています(『次の生き方』平凡社2004では三分割法との小見出しで紹介している)。団塊の世代が団塊として動き出す前に判断を下すことが先決ではないでしょうか。また、「孫に、どのような時代になろうとも逞しく生きる力を授けたい」と願う人には是非ご夫妻で興味を持っていただきたい。未来は今日の延長線上にはない、と断言できるのですから。