何を考えていたのか

 

 何を考えていたのか。私は、農民や僧侶とか自然豊かな環境に恵まれて育っており、感受性を豊かにしてもらえたように思っています。1960年ごろ、その感受性が命じるままに手をつけたことがあります。時代遅れだとか時代に逆行だと笑われましたが、手を休めていません。このたびの学生は、それは先行であった、と見てくれたようです。

 今日に至ってもなお、わが国の経済人は環境税の創設を先送りにさせましたが、それを「時代遅れ」と見る人は多いと思います。しかし、ブッシュや小泉さんも同様に「時代遅れ」と見る人はどれほどいるのでしょうか。私は、今話題の「耐震偽装」と似たことをしている、とさえ見ています。この人たちがこしらえたマイナスに気がついてから、あがなおうとすれば途方もなく莫大な無駄を強いられることでしょう。ただ、法に触れているか否かという点に差異がありそうなことです。要は、環境税などがない現行法自体の問題ではないでしょうか。

 そのでんでいえば、六本木ヒルズの人たちも時代遅れです。最後の足掻き、末期的症状の露呈と見てよいのではないですか。これらは、いずれ時間が明らかにするでしょう。もちろん、芸術の世界でいえばマニエリズムのようなものですから、それを末期現象と見ずに(その時代の人々が見ていたように)先鋭的だと見ると、話は変わります。