亀と兎を連想
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亀と兎を連想。朝は6時15分の点灯で目覚め、各自がめいめい昼食作りと朝食をすませ、7時半から8時の間に出発すればよいのです。脹脛(ふくらはぎ)や太腿(ふともも)まで痛くなっていた私は、20kmを乗り切るために、好天が戻っていたにもかかわらず、水を持たず、昼食も半分に減らすなどリュックの軽量化につとめ、同道した2人と7時32分からトボトボと歩み出しました。平坦な道だと聞いていましたが、標高差のない道のりだというだけで、登り降りはありましたし、足を滑らせたら奈落の底に落ちかねない崖っぷちもありました。 このトラックに誘ってくれた大垣時代の友には先に行ってもらい、それまでずっと私の後についもらっていた友の知人の登山家にも先に行ってもらいました。とても穏やかな人ですが、どうしても急き立てられたような気になってしまい、足元だけを気にした歩みになっていたからです。 ほんの数分で、前にも後にも人が誰もいない森林の細い道を歩む状態になりました。後ろから迫る足音がすれば、よけられる所で道を譲り、次々と追い越してもらいました。人の歩みがこんなに速かったとは知りませんでした。足音を聞き、抜いてもらってその影が見えなくなるまでの時間をほんの1〜2分です。そのときに、なぜか妻を思い出しました。平常は足速に歩きたい私は、妻について歩くだけで精一杯の心境にさせ、周りの景色などを楽しむゆとりをあたえないような目に合わせていたのではないか、と反省しています。 20人余りに抜かれたようだと思ったところに、景観を楽しむ箇所がありました。さらに20人ほどに追い越されたところで単独旅行者が使う施設がありました。また20人あまりに先を譲ったところでトイレと屋根つきの休憩場がありました。その直後に美しい滝があり、大勢の人が川原に降りて昼食をとっていました。そうした箇所ごとに、私は10人とか30人といった人を追い抜き、すぐに追いつかれ、抜き去られたわけです。私は屋根つき休憩所で昼食をとったときと、そばを流れていた小川でのどを潤した計10分ほどの停まった時間の他は、歩きに歩きました。 その間に、歌が歌いたくなる気持ちになっています。小鳥や夏虫の声を聞いたり、木陰の道では帽子を脱いで涼しい風を楽しんだり、苔むす箇所では鼻腔をうごめかしたり、風切り羽の音を耳にすると鳥の影を追ったり、つり橋に至ると高所に弱い妻なら立ち往生してだろうと思ったり、小川の水を口に含みながらこれぞ安全保障の原点だと考えたりしています。ときおりポケットの小型カメラを取り出し、好きなようにシャッターを切っています。 戦時中に、食料の買出しで、田舎の4里(16km)の山道を母と歩いたこと思い出したりジャングルをさまよった日本軍の敗残兵に思い馳せたりしました。やせた母は重そうなリュックを背負っていました。敗残兵は力尽きたときにどのようなことが頭をよぎったのだろうか、と考えました。ふるさとの景観か、子どもの頃にたべた駄菓子か、モーツアルトの旋律か、妻と交わした約束か、など何が頭をよぎったのだろうか、と考えました。そうした兵の多くは水に恵まれず、下痢が原因で食べられる草も消化できずに体力を消耗し、のたれ死んでいったに違いありません。 終着点にたどり着く寸前で、ヒロという人気者の日本人ガイドが通り過ぎましたが、「仲間の2人が心配して、後方で探していましたよ」と教えてくれました。結局私は抜きつ抜かれつしながら、48人の参加者でしたが、20番目ぐらいで終着点にたどり着いています。 |
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