オゾンホールの恐ろしさ

 

 オゾンホールの恐ろしさ。ほんの1時間足らずでしたが、ニュージーランドで直接肌を太陽光にさらしたのです。別荘の屋内で友と一息入れていたところ、「30分ほど時間をかしてくれ」といって1人で浜に出たレイさんに呼ばれ、手袋をはめず、帽子もかぶらず、ショートパンツ姿で飛び出し、ほんの1時間足らずでしたが、引き網の網を引く手伝いをしたのです。

 先に仕掛けていた刺し網に大物がかからず、粗すぎた目を通り過ぎた魚がいたことを読み取ったレイさんが、小さい目の網を取り出し、引き網を試み、それなら捕れる魚がいると見てとり、私たちを呼んだわけです。面白いように収穫がありました。
終わって、成果をカメラに収めようとしていたときに、手の甲と脛の異常と首筋がヒリヒリすることに気づきました。どす黒く日焼けてしていたのです。
南極に近いニュージーランドではオゾンホールの被害を受け始めています。天気予報の時間に、紫外線注意報も報じられるとか。その紫外線のすごさを思い知らされたわけです。

 国土の森林をほぼ切り開き、放牧地にした。つまり自然を作り変えたニュージーランドですが、オゾン層を破壊することを直接していないはずです。だが、その被害を、南極に近いがゆえにオーストラリアなどと一緒に直接被る立場に立たされたわけです。
その肌身で感じることができる恐ろしさのせいか、ニュージーランドでは羊や牛に人頭税のような税金をかけることにしました。羊や牛がだすゲップなどに炭酸ガスが含まれており、数が集まればバカに出来ない量になるからです。
質的に、量的になど、人間の勝手をしすぎると、自然は必ずシッペ返しをするに違いありません。それは、自然がその生態系を守るために創り上げたシステムを、つまり地球の自己防衛システムを、人間の勝手で破壊しかねない弊害を取り除こうとする作用ではないでしょうか。その限度を超えるとシステム自体が狂ってしまい、取り返しが付かないことになりかねないでしょう。

 今日の牛や鶏の飼い方は、量的にも限度を超えたところに入っているだけでなく、質的にも問題を生じさせていると気付くべきでしょう。そうしたバランス感覚が求められているように思われてなりません。

 ちなみに、私の首筋の皮膚はすでにむけ去り、今は足の皮がむけつつあります。蛇の脱皮のように、大きくはがれます。