新しい価値の創出

 

 新しい価値の創出。まずカーペンターとビルダーの話をしました。ニュージーランドでは、ほとんどのカーペンターが今ではホームビルダーと呼ばれるようになっていた、と伝えました。時代の要請にうまく応えた事例だと見たからです。

 おとどしから、わが家では若い大工さんに、ニュージーランドのホームビルダーが果たしていた機能と同じ機能を備えた人になるように勧め、わが家で生じたさまざまな要望をぶつけ、その意義を説明しながら対応してもらってきました。アイトワの人形工房などを作ってもらった工務店の社長から、かつて抱えていた若い大工さんを紹介されたのがきっかけです。

 わが国でも思ったより早くそれが時代の要請になりそうだと語りました。当初は、半分か三分の一ぐらいはわが家の仕事で埋めなければならないだろうと覚悟していたのですが、今ではほとんど来てもらえないほど引っ張りだこになっています。

 もちろん、こうした転換をはたすには、意識の転換を伴いそうです。それを阻みかねないものとして、旧時代が根付かせた歴史や伝統ではないでしょうか。そう考える私は、まず妻に、続いて教え子に、私の手作り環境論、つまり体験的環境論を展開し、意識を変えるように訴え続けてきました。その心境のいったんは『自活のススメ』で「三匹目のネコ」とか「体で覚える」といった見出しをつけて吐露しています。

 それはともかく、未だ多くの人に見えていない「新しい時代の要請」を形にしようと思うと、古い時代に竿をさすような一面を伴いますから、大変な苦難を伴いそうですが、だから成果も大きいのでしょう。クロネコヤマトの創業者はその苦難を克服し、大成した1人でしょうし、歴史に残る偉大なる好例は千利休ではないでしょうか。利休は命までかけています。

 そうした見方をする私は、そうした葛藤を想像して文章化したのが過日(1月30日の当週記で)取り上げた千利休と秀吉に関する一文です。千利休は、歴史を画するような価値の創造(ワビ・サビの世界)に手を付けたものですから、旧価値の信奉者であった秀吉から見ると破壊行為や造反と映りかねないほどのインパクトを与え、嫉妬や羨望まで感じさせたのではないでしょうか。しかしそれが、今日に続く歴史や伝統の創出になったわけでしょう。