私なりの心の整理

 

 私なりの心の整理。50年余も前に芽生えた実生の赤松の苗木を、その後40年もかけて庭木に仕立て上げるところとなりました。思案の挙句に切り倒してみると、風呂焚き用の10日分ほどの燃料になってしまいました。それは、ガスで沸かす燃料代で換算すれば1000円ほどの価値になってしまったことになります。そのために、切って、散々苦労して割って、運んで、乾燥させるところに積み上げるために延べ2日ほどの作業を伴いました。おかげで心の整理が出来ましたし、付録まで伴っていました。

 松は日陰になることを好みませんし、込み合って茂ることさえ苦手な樹種です。だからいずれは周りの木との関係で限界が来ることが予測されていました。なのに、どうしてここまで剪定し続けてきたのか、そのために毎年のように1日を割いてきたのか、と考えました。

 仮に両親が今も生きており、「切り倒そうと思う」と相談していたら反対したことでしょう。母は、いずれをも残すために小さく剪定し続ける案を出したでしょう。父は、ハナスオウを移植し、赤松を残す案を出したに違いありません。しかし、ハナスオウは、剪定をしない方がよい樹種のようですし、ここまで大きくなった木を移植して弱らせるより、新たな苗から育て直す方が賢明でしょう。第一、ここを植えた人をガッカリさせかねません。

 振り返ってみると、この赤松はこの地に笹やススキが生い茂り、荒涼としていたときに芽生えています。他にも20本ほどの松の若木と多数のヌルデ(一般にはウルシと見られている)が生えていました。ヌルデは切り取り、松は移植の対象にしています。弟が入試を終えた19歳の春のことでした。入試結果が分かるまでの間は、情熱をどこに振り向けてよいのか分からない時期だと見た22歳だった私は、弟を並木作りに誘っています。

 敷地の前の市道にそって、松とモミジの苗木を1本おきに植え、片並木作りに手を付けたのです。このたび切り取った1本は、移植するに値しないほどの若木でした。移植で弱らせると、笹やススキに負けて枯らしかねないと思って残しています。

 このときに移植した20本ほどの松は、今では数本を残すのみで、あとは枯らしています。妻が嫁いで来たときから10数年間はいずれも生きていましたが、次々と枯らしています。市道をはさんだ東側のお向かいが、敷地を竹藪にして日陰になったことが最大の原因です。もちろん残っている松の中には巨木もあります。

 要は、このたび切り倒した一本は、荒涼としていた土地をエコライフガーデンにする過程で、一時期の役目を期待されて残されたわけです。周り木が大きくなるまでの間の、野草の繁殖を抑制するための日陰を作る役目です。その間に、もちろん気温をまろやかにしたり炭素の固定に役立ったりしただけでなく、剪定を繰り返して何時までも長生きさせたいと思ってきたものですから愛着の対象にまでなってしまっていたのです。

 しかも、こうした旧来型の庭木に育てようとすると膨大な手間がかかりますから、同じ程度の成木を植木屋さんに頼んで植えてもらおうとすれば、(ハナスオウなら数万円で、枝垂れ梅でも20〜30万円で済むでしょうが)最低でも数十万円は要しそうです。だから、切り取ることを躊躇した一面もあります。しかし、思い切って切り取ってみて、不純なモノサシまで持ち込んで躊躇していたことに気付かされたしだいです。

 要は、エコライフガーデンという生活を経済的にも潤す庭の創出に手を染めていながら、命を永らえさせるためとはいえ、経済的な負担(剪定に多大な時間と技術、あるいはそのプロに肩代わりしてもらった場合は高く着く)を要する旧来型の庭木に仕立て上げてしまっていたのです。切り取ってみて、年に1日の剪定が不要になったことに気付かされました。

 付録とは、年輪を見たり、割ったりして分かった事実や疑問です。年輪は45まで数えられましたが、先ず、中心から10ほどの年輪までは幅が広く、その外側は刈り込みのせいか、極端に狭くなっていたことです。剪定を1年とばしにして枝を大幅に切り取ったりしたことがありますが、その年はほとんど成長していなかったことが分かりました。次に、一般には南に面した方がよく成長するものですが、この木は北側の年輪の方が厚くなっており、よく成長していたことが分かりました。北側に通路を設けているからでしょう。

 もう2つの付録がありました。その1つは、年輪は毎年1つずつ増えるわけですが、バウムクーヘンのように次々と外側に増えていくものと思っていたのですが、中央から増えるのではないかと思わされるようになったことです。本当はいずれなのか、木の専門家に出会ったときに教えてもらいたいと思っています。

 残る付録は、苦労して育てられた松ノ木は、とても割りにくいことを知ったことです。同じ程度の太さのクヌギの生木と比較すれば、ゆうに100倍以上のエネルギーを要したことです。私は薪割りのコツとか力をもっていますから100倍程度で済んだのでしょうが、妻にとっては無限大の困難をともなっています。歯が立たないのですから。