自分には踏み出せない理由

 

 自分には踏み出せない理由。わが家のエコライフガーデンを基盤にした生き方に意義を見出したり、これまでの工業社会が可能にした生き方には問題があると認めたりしているが、「子どもが出来てしまったから」とか「妻が賛同してくれないから」とか「親を抱えているから」などと踏み出せない理由をいろいろと考えてしまい、結局はこれまでの破綻が予見される生き方のままで留まってしまわれる方が大勢います。

 実は、踏み出せない理由の中で一番多いのが「私には土地がないから」という理由です。それが単なる言い訳であって、「本当のところは踏み出したくない」と言いたいのであれば問題はないのですが、本当に土地がないから踏み出せないと思っている人がいたら気の毒です。

 なぜなら、私は土地があったために酷い目にあっています。ところが、土地がなかったらこの生き方には踏み出していなかったかもしれない、との矛盾したような一面も感じています。つまり、このたび訪ねた恵那の夫婦のように、土地はなかったが、こうした生き方にあこがれ、自分で土地を手に入れて踏み出した、というケースでありたかったのです。だから『このままでいいんですか』とか『次の生き方』などを著しながら、「私には土地がないから」といってあきらめずに、むしろそれを幸いだと思ってもらおうとしてきたのです。

 私がこの生き方を思い立ったのは1963年のことです。商社に入社した翌年です。実は、入社が決まったときに、両親は「この土地を売って、そのお金で会社に通勤が便利なところに引っ越そう」と提案し、500万円で売りに出しています。ところが1年たっても買い手が現れませんでした。
 
 それを幸いに、私は住宅金融公庫から融資を受け、この土地の一部を父から借りて家を建てました。それが失敗でした。当時、勤めた商社では、結婚する社員などを対象に、住宅資金を低利で融資していました。その額が500万円程度でした。だから、会社から融資を受けるか、次善の策として銀行などで借金をしてでも両親から買い取っておけばよかったのです。ところが、そうしなかったために、父が死んだときに膨大な相続税などに泣かされることになりました。

 とはいえ、この土地を父が買い求めて妻子を疎開させていなかったら、私はこの土地に住んではおらず、『次の生き方』で詳述した啓示を与えてくれた人たちにも巡り合わず、18歳のときからの開墾のし直しや、20歳からの植樹もしていなかったことでしょう。

 だから、そのよいところ取りができる人を増やしたくて、拙著をしたためてきたわけです。つまり、啓示の代わりになる一文になればと願ってしたため、自ら謝金をしてでも土地を購入し、踏み出す人になってもらいたい、との願いです。

 要は、転売する土地であれば値上がりはありがたいのですが、売らずに保有し続ける土地は値が下がる方が有利なのです。値上がりすると相続や固定資産税が高額になり、税金地獄に突き落とされたようなようなことになるのです。

 これから地価は、一時的な値上がりはあっても、恒常的には値下がりすると見ておいてよいでしょう。つまり、世代を超えて大切に用い続ける土地を求めている人にとってはとてもありがたい時代になったわけです。