大君ケ畑のいわれや、わが国の肉食とかモンゴルで見たイヌ、あるいは「山上がり」テントウムシ

 

 
 大君ケ畑のいわれ。この大君ケ畑(オジガハタ)は、滋賀県と三重県の県境にある鈴鹿山脈の西面にある沢筋に開かれた村の1つですが、オジは皇子のことであり、大君は惟喬(これたか)親皇を指しており、木地師発祥の地だと聞きました。大君ケ畑と8kmほど離れたところに「君ケ畑」があり、君ケ畑と約2kmしか離れていないところに「蛭谷」があります。

 木地師発祥の地は、一般的にはこの「君ケ畑」と「蛭谷」が考えられており、両者は本家争いをしているようですが、君ケ畑の君も惟喬親皇のことであり、このたび大君ケ畑こそが本家中の本家だと大君ケ畑が主張していることを知りました。

 惟喬親皇は皇位継承争いに敗れ、山に逃げ込み、各地に渡り住んだようですが、岐阜県では薬草園や茶園の発祥に関わった人だと聞いたように記憶しています。

 わが国の肉食。鶏肉のことをカシワと呼びますが、それは柏のことであったと今頃になって知りました。それはイノシシの肉のことをボタン(牡丹)、鹿肉をモミジ、馬肉をサクラなどと植物に置き換えて呼ぶ慣わしの一環ですが、わが国の肉食習慣と係わり合いがあったようです。兎を1羽2羽と数えますし、四足の両生類サンショウオ(とても美味で、昔の人が捕まえたときはすぐに手足を切り落として埋め、魚のようにぶら下げて帰った、と聞いたことがあります)をウオ呼ばわりするのも気になります。

 モンゴルで見たイヌ。イヌをたとえに引き、どのような生き方が幸せなのだろうか、と私は話題を変えました。かつてモンゴルで見た犬を思い出したからです。

 モンゴルでジープに乗って草原を走り、見知らぬパオの側を横切ろうとしたときのことでした。毛が長くて四つ目の黒い犬が飛び出してきて、ジープを怪しげな動物と見たのか猛烈な勢いで襲い掛かり、吠えながら執拗に追いかけたのです。ジープに咬みつかんばかりの勢いでしたから身を堅くさせられましたが、幸せなそうなイヌだなあと思ったものです。

 この犬は、ドゥルブンヌッドという種類だそうです。放し飼いにされており、愛玩犬ではなく家畜や家族を守る番犬としての役割を与えられています。この犬は見知らぬ人であっても子どもや女は襲わないし、襲われそうになった男もしゃがみこむと襲われずにすむ、と教えられました。一般的に、獣は喧嘩をしても、弱いと自覚した方が腹を見せるなど降参のサインを送ると殺すようなことはない、自己制御能力を本能に刻み込まれている、といわれます。

 近頃は悲しい事件が続くだけに、このイヌの話題が思い出されてなりません。教師に叱られた少年が腹いせに弱そうに見た老人を殺しました。中学生のころに子どもを孕ませたことがある(といわれる)少年が、高校生になって別の中学生少女を殺しました。

 どうやら人間は、本来は本能に刻み込まれていたはずの自己制御能力を見失った動物、といってよいのかもしれません。もしそうだとすると、自由と野放図を見まがうなどしつけに問題があったりすると、獣以下の動物になりかねない一面を持っているわけです。

 山上がり。その昔、わが国のある地域では「山上がり」と言う制度(?)があった、という話も飛び出しました。現世にどうしてもいたたまれなくなったが、さりとて死ぬ気にはなれないようなときに、山に入って生き抜くことが出来る制度であって、そう宣言すれば他人の山にも入ることが許されていたし、時には味噌を餞別として贈られた、と聞かされました。

 この話を聞きながら、問題は確かな自活力を持ち合わせていないとこの自由は謳歌できないわけだと思ったり、当時はクマだけでなくオオカミなどもいたわけですから、非力な女性が単独では生かしにくい制度であったようだと考えたり、だから頼るべき伴侶に虐待されるなどいたたまれなくなった女性のために「駆け込み寺」という制度が設けられたのではないだろうかと想像してみたりしました。

 そんなことを考えながら、かつての私の心境を振り返っています。山上がりのような行動に勇気の源泉を見出すことによってサラリーマン生活をしていた頃の思い出です。もちろん、妻が道連れにされたくないと考えたときのために補完制度も設けていましたが、それは内緒にしておいたほうがよさそうです。

 テントウムシ。7つ星や2つ星テントウムシだけでなく、20星と呼ばれる肉食のテントウムシがいたのです。その姿をカメラに収めようとして紙切れの上に載せて撮ろうとしたのですが、テントウムシはたゆまなく高いところを目指して動くことに気づかされました。そのときに、だからテントウムシと名付けられた、と聞きました。私は天登虫との漢字を連想して膝を打ったのですが、実際は天道虫と書くのだそうです。