時代の要請
|
|
西脇での日曜日の講演では、時代の変化を、戦争(の世紀)から観光(の世紀)へ、工業から農業へ、化学から生物学へ、石油の争奪から水の争奪へ、(わが身を甘やかす)グルメから(他に配慮する)環境への転換であろうと指摘し、豊岡市はその流れに沿っているようだと強調しました。華道にとっても、この時代の転換にうまく乗ることが時代の要請に応えることであり、それが華道をリフレッシュし、よみがえらせる絶好の機会だと訴えました。 つまり、伝統を重んじる華道は、これまでの環境破壊を容認する時代への転換には乗れなかったが、それは悪しき流れに乗らずに済ませたともいえるわけです。だから華道家はそれを誇りにして、このたびの転換には率先して乗り、これまでの悪しき時代が見失わせてきたものを取り戻すために立ち上がらなくてはならない、と訴えたわけです。意識改革の勧めです。 会場には、ネコヤナギを生かした生け花がありました。川原に生えていた木を用いており、自然の営みに傷つけられていました。幹は流石で削られ、葉は虫などに食われていました。こうした傷ついたユキヤナギを生かしきるセンスに私は心を強く打たれました。川幅が狭い急流の、小石でうまったような川岸に生えていたユキヤナギを瞼に浮かべました。 舞台ではデモンストレーションで、4人がかりで大作が生けられました。この4人が華道家として競う関係や協働する関係だけに留まらず、日々の生活を高度化するために生け花を生かし、お互いに手を携えて心地よい相互扶助関係を成り立たせ、生活の営み自体を芸術化するまでになってほしい、と願いました。それが華道を活性化する1つのアイデアだと思うのです。 木曜日になってから分かったことですが、私の訴えが1人の小学校の教師にとても強い関心を示してもらえていたのです。華道を見直しただけでなく、私が用いた映像資料を借用して子どもの教育に生かしたいとの申し入れがあったのです。なぜかとても救われたような気分になりました。 |
|