既成概念の打破

 

 わたしたち日本人は、マインドコントロールに掛かりやすい風土に生きているのではないか、と睨んでいます。

 仕事で海外に出る機会が多くなり、私たち日本人が、欧米人が多用する言葉、オルタナティブとかチェンジマインドに相当する適当な言葉を持たず、またフリーダムとリバティーをきちんと使い分けていないことなどに気付かされ、それがマインドコントロールにかかりよい風土にしているようだ、と思うようになりました。

 マインドコントロールにかかりよいだけでなく、一度掛かるとその呪縛から逃れにくくしている恐れもあります。呪縛を解こうとする人が現れても、己がマインドコントロールされていることに気付きにくい風土に育っていますから、逆にマインドコントロールを試みる人があらわれたかのように誤解しかねないからです。たとえば、自然を忌避する心を解き、自然と共生する意義や価値や醍醐味などに気付かせようとする人が現れても、心を解かず、むしろ警戒し、かたくなに自然を忌避する既成概念、呪縛の世界に閉じこもり続けようとする傾向にあります。

 それは、風土が意見と事実を峻別しようとしない意識を育ててきたからでしょう。日本人女性に「ヘビを捕まえられますか」と質問すると、多くの人が「捕まえられません」と答えますし、その答えを聞いた人はそれを事実と考えてしまいがちです。それは意見に過ぎないし、意見を事実と思い込んでいるに過ぎないのに、気付かせにくい。だからマインドコントロールから逃れにくく、つまり己の心を解き放ちにくくしているようです。

 これに対して、同じ質問を欧米の女性にすれば、様子が大きく異なります。
「分かりません」との答えが返ってくることが多いからです。だから、
「どうして」との追い討ちをかけたくなります。
「捕まえたことがないからです」
「どうして」
「怖いのです」と、やっと明確な意見が出ます。

 こうした経過を踏ませる意識は、事実(「分かりません」)を飛ばして意見(「捕まえられません」)を事実のように思い込みがちになる会話を重ねさせず、意見の是非をテーマにして考え方の是非を掘り下げやすくしているように思います。それが、オルタナティブを意識する心を呼び覚まし、チェンジマインドに結び付けやすくしているように思います。