苦い思い出

 

 女子プロボクシングのフエザー級初代日本チャンピオンになったライカが、卒業生であったと知ったときに、しかもその試合にあたってドクターが健康上の理由で制止したにもかかわらず、ライカは「ボクシングに自分を見出した」という理由で押し切ったことを知ったときに、私は学長として彼女をたたえ、ねぎらいたく思いました。だから2度にわたって彼女を学校に招聘する希望を表明しましたが、賛同する幹部がほとんどいなかったのです。

 紹介した良い職場や、国家試験まで受けて得た資格をふいにして、あろうことか女子プロボクシングなんかにとか、せっかく与えた資格をなんと思っているのかといった声があり、それをたたえようとする学長の気が知れないとばかりの抵抗を感じました。それは、任期中で、最初で最後の抵抗でしたが、この抵抗勢力を私は哀れに感じています。

 ボクシングは私の好みのスポーツではありません。いわんや女子のその試合を見たいとは思いません。でも、それは個人的な好みや都合や勝手の問題でしょう。それとこれとは別問題でしょう。ライカはボクシングに「自分の天性を感じ取り、命さえかけてもよい」と思うまでになったわけです。その自分で見出した天性を演じきり、納得する。こうした生き方をする人を、反社会的でない限り、私はうらやましく思いますし、喝采を送りたい。そこに人間の解放を感るからです。欲望の解放に努めた『人形の家』のノラのような心意気を感じ取ったのです。

 教育はきっかけになるだけで十分ではないか。授けた知識や技術や資格などがどうであれ、自ら納得できる自分を見つけ出し、演じきりたくなる人生に出会いやすくするきっかけになれば、それで十分ではないか。多くの卒業生が、これが私だと確信する自分を見つけ出し、その自分を自分らしく演じさせられる学校にしたい。それが人生の、あるいはこれからの学校の本義ではないか。国家のための国民ではなく、国民のための国家、つまり主権在民の国家が繁栄するために、主体性と自己責任を兼ね備えた国民を育みたい。私はそう思って運営していました。この教育の本義を認めることができない学校、時代の要請に応えようとしていない教育空間は私の居場所ではない、とさえ思ったぐらいでした。

 実は、ライカを招聘する希望を2度も表明していますが、その間に私は妻の意見も求めています。その後ライカは、なぜか取材時に出身校には触れなくなったようです。