大阪のあり方

 

 商社時代の仲間との飲み会を急遽キャンセルしていなければ、3度も大阪に出かけることになった1週間でもありました。その一回は講演でした。

 「儲かりまっか」「あきまへん」などといった挨拶を交わしている間は大阪の沈下は続きます、と大阪での久しぶりの講演なのに、嫌味なこと言ってしまいました。私はサラリーマン生活を大阪から始めたせいか大阪が大好きです。幼い頃も、大阪の親戚で逗留するのが一番気楽でした。だが、この挨拶がその大阪の良さを悪さに換えているように思われてなりません。

 高度経済成長社会は、家族共同体や地域共同体を破壊しながら企業共同体を形成するようなかたちで繁栄しましたが,これらの共同体はいずれもが利益共同体であったと見てよいのではないでしょうか。血縁や地縁で結ばれていない企業が、つまり文化の縛りに欠けがちの共同体が利益共同体のままで突っ走ると、貧すれば鈍しやすく、ブレーキがきかない車のように暴走しかねないようで心配です。もちろん、血縁や地縁で結ばれた企業も、貧すれば限りなく鈍しやすくなり、社外秘を増やしかねないように思います。

 いずれにせよ、これから企業が栄えようとすれば、企業の社会的責任を自覚し、使命を公表できる共同体となり、社会的な存在価値を明確にしなければならないはずです。これが『「想い」を売る会社』(1994年)で訴えたかったところです。つまり利益共同体から使命(ミッション)共同体への転換のススメです。そう社会が求めているのに、「儲かりまっか」「ぼつぼつですわ」との挨拶を交わし続けていたら、誤解を与えかねないでしょう。