小倉池が破壊された過程

 

  サラリーマン2年生のときの新聞が母の手文庫から出てきました。会社の寮に入っていたこともあり、市役所が開いている間に京都に帰るわけに行かず、小倉池の破壊を踏みとどまらせることができず、じくじたる思いをした思い出です。

 その後、同じ農民の目を100万円というお金でくらませ、池の一部を埋め立てて道をつけ、その奥にある小倉池の水を涵養する袋地を宅地化するというはるかに悪質な人まで出現させました。

 後日、市が結託して建築許可を出していたことが分かりました。今もその道は法務局の地籍図では池のままですが、観光都市京都は放置しており、恒常的にアオコを発生させて観光客に「お抹茶のようね」と言わせています。

 この水をなんとか澄ませないものか、と願う人があらわれつつあるのです。