朝も庭に出られない

 

 地域一円の自治組織から、妻は今年度の「交通安全係り」というお役をおおせつかっており、その活動の一環として月に一度だけ小学生の登校を見守る日が決められており、出かけています。子どもを守りたいと言う大人の心を形にしたのでしょう。7月20日の朝はその日に当たっていました。

 こうしたことを妻はきちんと守りたい方ですし、それはそれで尊いことですから、いつも私は「ごくろうさま」といって送り出します。しかし、この日は強い雨が降っていたこともあって、送り出しながら、やりきれない思いがしないでもありませんでした。

 以下は、やりきれない気持ちが考えさせた余談です。

 日本人は何か深刻な問題が生じると、標語を決めたり、こうした日を決めたりすることで、つまり小手先のごまかし策(と私には見える)で、心を落ち着かせる傾向にあります。それが肝心の問題を矮小化してしまい、根本的な解消策を見送らせがちになっていたように思われてならないのです。

 過日も江戸東京博物館で、爆撃に備える庶民の努力を見てきました。街角に張り出された標語のごとき激励文(写真)や、バケツリレーの練習光景とか類焼を防ぐための(棒の先に雑巾を結わいつけたような)道具を見たわけです。それらはすべて庶民の努力を喚起するものであって、上層部の無能さを隠し、責任転嫁を許してきたように思われてならないのです。 なぜなら、再び同様の問題が生じると、たとえば爆撃されると、こうした小手先のごまかし策で乗り越えようとしたことが問題であったことが問題にされず、標語が標語で終わっていたことを嘆いたり、決めごとが必死で実施されなかったことを反省したり責め合ったりする方に目が向きがちになるからです。

 余談の余談を挟みますが、私はこうした論は妻には展開しないことにしています。なぜなら、妻には私の言わんとするところがうまく伝わらず、「真面目に決め事を守っているのに、水をさす」とか「くさす」といっていつも嘆かれてしまうのがおちだからです。

 かくして問題の根本的解消を遅らせ、夫婦や親子、あるいは近隣同士が、つまり庶民同士が責め合ったり互いにどんどん過酷な状態に追い込みあったりしかねません。太平洋戦争はその典型で、ひめゆり部隊や神風特攻隊はまだしも集団飛び降り自殺や手榴弾による自決者まで生み出したのではないでしょうか。その危険な兆候が、今の世にも現れ始めているように思われて不気味です。

 安倍官房長官の人気が高まっていますが、それは太平洋戦争開戦前のアメリカにおけるハル国務長官のようなものではないでしょうか。ハルはかたくなな日本を孤立させ、アメリカ人の日本への憎しみをかきたてましたが、その手口に習っているように見えてなりません。

 子どもの世界に目を転じると、そこでも弱いものいじめが絶えません。強いものにくみして、弱いものへの心遣いを忘れ、弱いものを締め上げることに密かな喜びを見出しているのではないかと疑いたくなるほど執拗な事件が生じています。何事があっても親を信じたく思っている子どもを、親が痛めつけるケースさえ多発しており、不気味です。

 かく日本人のストレスを高めている原因は何か。それは明らかですがここでは割愛し、誤解を避けるために以下の追記だけいたします。私は北朝鮮の末端の庶民が気の毒なのです。その庶民を締め上げてもいるかのような強力な軍隊を組織させる人やその取り巻きを危険視しています。その人たちと庶民を一緒くたにするようなことがあってはならない、と言いたいのです。