露と消えていました

 

 その女性を車にのせて連れ込もうとした橋です。役目を果たさぬままに夏草を茂らせていました。夢(?)の跡だからでしょうか、大げさな橋だからでしょうか、哀れさを通り越して、いじましさを感じました。

 この露と消えた話を妻にしたところ、山奥に囲われることを承知した女性に興味を示しました。いまどき買物にも不自由する山奥での隠遁を承知したヒトのことです。

 私は今、商社勤めの頃に、債権の取立てを担当していた仲間に聞いた話を思い出しています。倒産した会社の経営者の自宅だけでなく、2号や手かけなどの別宅にも取り立てに行くわけですが、その男は2号や手かけなどにむしろ同情していたからです。

 正妻の多くは、なんとかして差し押さえから免れようと躍起になる傾向にあったようですが、2号や手かけの多くは、あれもこれもと差し出そうとする傾向にあったとか。子どもを抱えたヒトが「ウチのヒトの役に立つなら」と差し出そうとする品を取り上げるのは辛かったようで、目こぼしもしたのではないでしょうか。

 今にして思えば、それは女性の置かれた立場がそうさせたのではないかと思います。正妻はいざという時の備えまで、つまり現実の世を生き抜く心得まで真剣に語り合う傾向にあり、片や2号や手かけなどは匿われの身であり、お芝居のごとき生活の部分、半ば架空の部分のお手伝いをさせられるだけの傾向にありがちだから、ではないでしょうか。

 ところで私は、2号、手かけ、妾などの言葉を知っていながら、その差異、定義は知りません。