気骨のある生き方を

 

 講義では、『次の生き方』の幾箇所かから抜粋した文章を、下記のようにつないで読んでもらい、日本のありように警戒する目を持つように注意しました。

 だが、大切なことは、日本を嘆くのではなく、ひいてはアメリカ流工業国に憧れるのではなく、自らの信じるところを見出し、次代を切り開こうとすることだ、と勧めています。私は「時代に逆行」と笑われながら、信じるところを疑わずに突き進んでよかったと、と思っています

 それは、5歳のときに伯母から学んだ「自然の摂理」と19歳のときに聴いた知的障害を持つ友の一言、「有限の資源の浪費にたいする不安」です。その2つを無視することが過去50年間の国のテーゼ、工業社会の英雄のテーゼであったように見ています。

 小泉さんは、このテーゼに乗せるのが巧みな末期的症状の人であったのではないでしょうか。その継承者がはびこらない国になって欲しいものです。

                                                     記


 ECは日本に対する戦略基本文書を1979年に作成し、「日本人はウサギ小屋とさして変わらない住宅環境の下に生息している働き好き」との一文を盛り込んだ。民家の床面積では欧州を上回っている、と広さの面から反論して溜飲を下げる人がいた。冷暖房器や電気洗濯機などは世界の最先端を走っていたし、GDPは欧米にひけをとらなくなり、車の保有台数では世界第2位になっていた。だから多くの人は、ECがいうウサギ小屋の意味を深く考えようとしなかったのだろう。

 その年、BBCテレビはミスコンテストを女性の商品化と見て放送を中止したが、わが国はビニ本を登場させて女性の商品化を進めたり外食産業を10兆円規模に乗せたりしている。そうした社会の勢いが、何代にも渡って二世代三世代家族が生を営んできた家屋を文明の利器・ブルドーザーなどで破壊させ、合板や合成接着剤などを多用した耐用年数が短い核家族用の家屋に置き換えたり戸主が寝に帰るだけの場にさせたりしたのだろう。(潜在的廃棄物と決別 p81)

 イギリスのロンドンやオックスフォードでは友人の家も訪ねた。そこには石造りやレンガ造りの家並みだけでなく木造の家並みもあった。オックスフォードの友人は、ヴィクトリア時代の貴族が建てた木造の家並みの一角に住んでいた。その友人によれば、イギリスでは木材資源に事欠くようになってから盛んに石造りの家を作ったという。さらに石材が不足がちになると、レンガで骨格を作り石や漆喰で化粧をする工法に移行した。

 その後、赤レンガを美的に生かす工法で新居を作り、レンガを石の代用と蔑んでいたそれまでの意識や工法に一石を投じる人が現れた。ウイリアム・モリスである。モリスの新居は今もレッドハウスと呼ばれて保存されており、世界で最も美しい家との評価もえて観光資源として世界中から毎年大勢の人々を呼び寄せている。

 つまり、イギリスは建材として次々と天然資源を使い果たしながら街づくりをしてきたようなものだが、いずれもが何代にも渡って使える家並みを造り出している。末裔たちは、建材の種類などから家並みの歴史を感じ取り、文化財として誇りながら生きている。ロンドンでは17世紀の大火を、街の大改装の機会として生かし、家並み自体を観光資源とするための努力をしてきたかのようになった。今日では、改装は内部に限り、外観は現状維持に努めている。

 他方、木を伐った森や石材を取った丘はもとより、煉瓦を焼くために土を取ったり燃料のために雑木まで切り取ったりして生み出した広々した景観を農地や牧場として生かし、今ではいざというときは食料をほぼ自給できる国にしている。(潜在的廃棄物と決別 p79)

 かつてオランダはバブル期の日本のように世界の富を一手に集めたかのような時代があった。もちろんチューリップ事件と呼ぶチューリップの球根を投機対象にして生じさせたバブル現象もあったが、国が最も華やかなりし頃に今の国の形を造り上げている。テーマパークとして真似たくなるような家並みや運河。ドッシリした風車には今もマスタードを挽く風車守がいる。多くの人が生花や球根の栽培など花を慈しむ仕事を生業としている。国の安全面にも力を注ぎ、女王も自転車に乗ってデパートに買い物に出かけられる国にしている。(国の形を作る p38)

 カリフォルニア州のデーヴィス市には、エコロジカルな居住区・ヴィレッジホームズがある。1976年に環境調和型の住空間モデルとして計画的に作られた街で、お互いに顔がわかる範囲の220戸の住居が木立に埋まるようにして軒を連ねている。

 ヴィレッジホームズは土地や道路を保有するホームオーナーズアソシエーション(地権者協会)をはじめ緑化のあり方を協議するアグリカルチャーレビュー(植採協議会)など四つの協議体を設けて運営している。そして公園と学校を隣接させ、通学時に子どもが自動車道を歩かなくてもよいようにするなど快適な居住空間を住民間で創出した。もちろん規制が多いだけに当初は居住者間ではぎくしゃくする場面もあったようだが、今では同好の士が集ったような地域共同体が形成され、環境と調和した住空間になっている。

 街にコンビニエンスストアーやショッピングセンターの進出を許すか否かは地権者として重要な討議項目である。便利になると考える人もあれば、家族共同体の破壊に結びつきかねないと考える人もいる。自ずと近隣同士で話し合われる内容は深まり、単なる利害の調整ではなく、子どもはいかなる環境で育てられるべきか、自分たちにとっていかなる人生が望ましいのかといった面にまで発展していった。(独自の文化 p125)

 アメリカでは自動車旅行をする家族やトラックの長距離運転手などに重宝がられて発達したコンビニエンスストアーを、ドイツでは不要の小売り形態と見て溶け込ませていないが、わが国では日常生活に組み入れた。セブンーイレブン・ジャパンは出店30年目にして、一つの国で10000店のチエーンをもつ小売り業界では世界初の国にした。(大危機のとらえ方 p206 )

 私たちは欧米に模して工業化を軌道に乗せ、高度経済成長時代に入った頃から安い木材を大量に輸入できることをいいことに、使い捨て家屋につくり変えていた。木材の輸入先はフィリピン、マレーシア、インドネシアなどと変えたが、それらの国々は今や森林がなくなり、木材の輸入国になったり洪水に怯える国になったりしている。(潜在的廃棄物と決別 p81)

 わが国では60年頃から建築物の着工床面積が急増した。それ以前は9割近くが国産材で建てられていたが今日では8割が外材で作られており、その更新期は30年程度にすぎない。だから廃棄物が増えた。日本では埋め立てられる産業廃棄物の約4割は建築廃棄物であり、不法投機にいたっては9割を占めた。ちなみに、イギリスの住宅更新期は140年、アメリカは約100年といわれる。(潜在的廃棄物と決別 p80)

 本来なら、建材などが潤沢に手に入る間に、恒久的な家屋や家並みを計画的に作り、末裔が共同体を構築しながら末永く引き継げる住まいや住まい方を編み出しておくべきだが、逆に膨大な建築廃棄物を出しながら潜在的廃棄物を作ったり、土地柄に則した生活文化や地域共同体を破壊したりしていた。(潜在的廃棄物と決別 p82)