集金システムにはめられている

 

 

 アメリカはハンバーガーや清涼飲料水はもとよりテーマパークやコンビニエンスストアーまで普遍化し、食やサービスまで匿名化に寄与させており、差別や区別にさいなまれがちな多用な人々の心の壁を取り払う上で有効に働かせてきたように見える。それは巨大な都市が求める必然の帰結であったと見てよいだろう。都市では、互いの風俗習慣を主張しあうよりも誰しもが居心地よくなるモノやコトを広めた方が折り合いをよくしたに違いない。ここにアメリカのインダストリアリズムが世界に許容されやすい魅力の一面を見い出してもよいだろう。

 問題は、誰にでも簡単に真似られるし真似たくなるモノやコトを勝手に真似られないようにするために、アメリカは商標権だけでなく商号権の登録制度まで整備し、真似たい人からお金を巻き上げるシステムを完成させた。だから、ファーストフードやテーマパークなどのサービス産業までがかくも巨大な企業に育成することができたのだろう。

裏返していえば、この社会システムは万人が共有する欲望の解放と引き換えにお金を吸い上げる集金システムであったと見てもよいことだ。欲望の解放を組織的・科学的に推進するセールスプロモーション策を発達させ、利益を独占的に獲得するシステムをアメリカは制度的に完成させたわけであり、ここにグローバリズムの本質とそのエネルギーの源泉を見いだしてよいのではないか。

 問題は、グローバリズムの進展と共に今日では多くの言語が絶滅の危機にさらされたりしていることである。それは土地柄ごとに異なる循環型の生き方を維持する上で不可欠な文化の危機を意味している。たとえば、モンゴルでは成獣の山羊と子どもの山羊を英語のようにゴートとキッドという個別の言葉で表すだけでなく、発情した雌や妊娠した雌などにも個別の言葉を用意していた。エスキモーは微妙な差異を持つ白を表現する個別の言葉を何十と持っており、獲物を仕留めたところまで白一面の雪原を他人に何キロも歩かせてたどり着かせる説明ができるという。グローバリズムの進展と、こうした言葉を必要とする文化の消滅が足並みを揃えているように見受けられる。

 グローバリズムはアメリカ式インダストリアリズムの賜物だろうが、その初期段階でアメリカは一旦失ったら復元出来ないリョコウバトや多数のアメリカ先住民などをこの世から消し去り、今や南北問題だけでなく野生生物の絶滅問題なども深刻にする急先鋒となっている。今や世界の二割の人が世界のGNPの九割近くを独占するようになっている。つまり、民主主義の正義を叫びながら、限られた生活圏内でいかにQOLを高めるかに腐心する文化を踏みにじりつつ文明を謳歌してきたようなことになっている。

 このやり方の巧妙なところは、生き方を画一化しただけでなく人間まで画一化しながら、提供するモノやサービスのデザイン数を増やしたりモデルチェンジを繰り返したりすることによって多様性を感じさせ、欲望を多様に解放することが人間の解放かのような錯覚を与えて来たことだろう。

 

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