不二家の事件

 

 

 決して私は不二家の回し者ではありませんし、不二家の肩を持とうとしているのではありません。むしろ「けしからん」と思いましたし「愚かなリ」とも思いました。しかし、このままでは国家的な損失になると思い、意見を述べたくなりました。

 報道が「賞味期限の厳守に焦点が絞られている」のが気になって仕方がないのです。ひどい報道機関になると、「子どもが口にするものですから、賞味期限をきちんと守ってもらいたいものですね」と、もっともらしくて扇情的な意見を述べるキャスターまで放置していました。

 それほど賞味期限に権威があるのなら、せめて賞味期限とは何か、誰に一番益する制度なのか、に焦点を絞って掘り下げてほしい。ちょっと深く考えたら、国民のことを思えば、賞味期限ではなく製造年月日を記すべきだ、と思いつくに違いないのですから。

 そう遠くない将来、賞味期限など「のんきなことは言っておれない」といった時代を迎えることでしょう。つまり、表示法を賞味期限から製造年月日に、国益や企業益から国民益に改正せざるを得なくなる、と私は睨んでいます。腐ってもいないのに、賞味期限が切れたからといって捨てるなど「とんでもないことだ」といった未来が待ち構えているように思います。そのときのために、今から国民益を考えて、生きる力を養う方向に国民を誘っておくべきです。

 この事件では、こうした未来もありかねないと想像し、せめて報道機関には創造的な取材をしてほしかったのです。今のままでは、自ら「プロパガンダに生かしよいマスコミ」に成り下がっているようなものです。国家益には供しても、国民益にはならない状況です。

 報道機関は、賞味期限が1日過ぎていた事実と、その原料で作った製品の細菌の数に焦点を絞った報道ばかりしています。それならせめて、賞味期限1日前の原料を用いた製品の細菌の数も調べて欲しいし、他社の賞味期限内の原料を用いた同種の製品の細菌の数も参考までにすべて調べて教えて欲しい。つまり、賞味期限にどれほどの科学的根拠があるのかを教えて欲しい。

 本来、人間は万物の霊長として、つまり一番賢い生き物として、自分が口にするものに対して自己責任能力を高めて当たるべきです。その場合に問題になるのは、消費者は個々では弱い立場であるという点です。組織的な企業の手にかかれば、好きなように誘導されかねない。

 だから国家が消費者としての国民を守らなければいけないのですが、国家と国民と関係より、国家と企業の関係の方が癒着しかねない世の中である点を考えておく必要がある。決して私は国家や企業を非難しようとしているのではありません。故ケネディ大統領が、1963年に「すべての人は消費者である」と切り出し、消費者の4つの権利を謳いあげ、消費者が賢くならなければ国家が危うくなると訴えましたが、その意味でよき国家になって欲しいのです。

 問題は賞味期限ではありません。腐敗や鮮度の問題です。鮮度を保っているのに、賞味期限が切れたからといって捨てていたら、自分たちの首を絞めかねません。それでは不経済ですし、資源枯渇や環境問題にもつなげ兼ねません。また、賞味期限の表示制度などない国の方が多いのが実情ですから、胸を張って海外旅行にも出かけられなくなってしまいます。

 本来は、賞味期限内であっても原料として不適切であれば使うべきではないし、賞味期限が切れていても、原料として適切であれば使わなければいけないはずです。要は、消費期限にどれだけの意味や意義があるのかを今一度吟味すべきなのです。

 白いアスパラガスや本当に美味しいトウモロコシなどに目がない私は鮮度をとても大切にしています。収穫したてが一番美味しくて、刻々と味が落ち、もちろん、保管の仕方次第で鮮度はずいぶん変わりますが、10時間もたてば食べる気がしないほど落ちてしまいがちです。下仁田ネギにしても、あまった分は翌朝に回しましたが、味が落ちていました。

 逆に、大垣で毎週1〜2泊していた頃の私は自炊をしていましたが、スーパーで半額ほどに値下げした品をしばしば買っていました。めざし、チリメンジャコなどの賞味期限が切れそうな品です。その週に食べきれずに残すことがありましたが、冷凍にするか、冷蔵にするか、火を通しておくかなどを考えて保存し、捨てたことなどありません。

 生チーズなどは、たとえばカマンベールがグレー色になるまで醗酵させたり、臭くなるまでかびさせたり、ブルーチーズが硬くなるまで日を置いたりして賞味することもあります。正味期限が切れた方が、格段に美味しくなるものもあるのです。本来、賞味期限は、人間が万物の霊長として、つまり一番賢い生き物として自らの五感で判断すべきことではないでしょうか。

 今のままでは、つまり国民が、自己責任の下に知恵と努力を傾けて保管や保存などをして上手に生かせばよい問題を、賞味期限に振り回される愚かな国民にしてゆけば、賞味期限をどんどん短くしなければいけないでしょう。購入してからの保管や保存が悪くて鮮度や味を落としながら、「賞味期限内なのに」などと文句を言いかねないからです。また、それを「思う壺」と考える悪い業者を出させかねない恐れもあります。なるだけ賞味期限を短くして、早く捨てさせたらそれだけ早く次の購買に結び付けさせられるのですから。そうした恣意を許しかねない賞味期限ではなく、製造年月日や、収穫日などに表示を改めるべきではないでしょうか。