資格取得に狂奔
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わが国では、同じような不正が繰り返し発覚しています。もちろん、ジェントルマンの国イギリスでも不正は生じるでしょうが、懲罰的な制裁が加えられているように思います。役所や警察で裏金作りが発覚すれば、返せば済む、では済まされていないはずです。 昨年発覚した高校の必修科目未履修問題でも、バレ元以下で終わっていました。バレた高校生やその高校生を持つ親の身になれば、仕方がない収め方であったと思います。だが、それ自体が腐った風土であったことをあからさまにしたようなものでしょう。つまり、あまり厳格に追及すると過去にさかのぼらざるを得なくなりますが、さかのぼれない事情があったのでしょう。 腐敗があとを絶たないのは、スピリットやマインドあるいはソールなどと大いに関係がありそうに思われて仕方がありません。「ジェントルマン」の講師に、スピリットやマインドあるいはソールなどの言葉の差異を質問しておけばよかった、と悔やまれます。もちろん私は日本語の精神、魂、霊などの差異さえ質されても答えられません。それだけに、議論しておけば、ジェントルマンの理解度をもっと深められたのではないか、と思うのです。 私は、短大の教師であった頃を思い出しました。教師になって間なしに、世間で援助交際問題が騒がれました。また、企業の要職についていた知人の1人が「娘の援助交際をやめさせられない」と嘆きました。「合意の上で両者が幸せになっている」と開き直られたというのです。私は教え子を守りたくて、以前にも少し触れたように思いますが、次のように独断と偏見をぶっています。 「私に娘がいたら、援助交際よりもレイプされた方が気を収めよい」「レイプなら、相手を必ず探し出して私は木刀ででもブチ殺してやる。だが、援助交際なら相手をブチ殺せば、娘が娘なら親も親、と笑われるに違いない」と語っています。その上で黒板に「人間=身体+神経+生命+…+意識+魂」などと書き、「レイプは、娘=身体、あるいは娘=身体+神経+生命ぐらいにしか考えていないんだ。娘の魂を踏みにじったんだ」と語り掛けたものです。 だからでしょうか、教え子に餞別の意味もかねて記した『次の生き方』に次のような下りを加えています。 「アリストテレスは二三〇〇年も昔に、二つの徳に触れている。一つは教育によって習得できる知性的な徳であり、他の一つは机の上では育めない徳である。それは幼児期の習慣が養わせる倫理的な徳であり、誰しもが生まれた時に備えている一つの素養が触発の機会を得て覚醒し、自ら習得しながら身につけていく真の倫理的な徳である。 『沈黙の春』を通して、虫といえども商品ではなく私たちと同じ生きる権利を持っていることに気づかせたレイチェル・カーソンは、絶筆の『ザ センス オブ ワンダー』で、 自然の驚異に感動したり自然に対して畏敬の念を抱いたりする心を、幼児期に養う意義を教えている」 |
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