出発点や過程は異なっていても

 

 元庄屋の屋敷を巡ることによって、不遜にも『不都合な真実』を思い出すところとなりました。ゴアさんはタバコの栽培もする豊かな家庭に生まれ、優れた恩師の影響を受けたりヘビースモーカーの姉を癌で失ったりして、今に至っています。私は知的障害者の友の一言に触れ、単純な疑問を次第に膨らませながら、今に至っています。

 ゴアさんの出発点や過程と私のそれらは月とスッポンですが、行き着く先は同じではないかと考えたわけです。ゴアさんは上から、私は下から同じところを目指している、と見たのです。それは、元庄屋家の祖祖父が夢見た生き方を、私はサラリーマン版で迫っていたように感じたことが、『不都合な真実』を見て共感したことを思い出させたのでしょう。

 ゴアさんは、大統領になっていたら、温暖化の問題や解消策を科学的に追求し、アメリカの産業界や消費者から政治的に手を付け、世界に影響力を及ぼしながら、その解消に結びつく方向に人々を誘っていたことでしょう。私は逆に、政治的には強制されかねない立場に過ぎませんから、政治的に2度もあたふたさせられるような人生にはしたくない、と考えたわけです。

 実は仕事で、私は「やれゴルフだ、やれスキーだ、ファッションだ」と欲望の解放を囃しながら、次第に不安を高め、途中から生き方の転換を提案するようになっています。だが「時代に逆行」と笑われました。そこで、思うところを私生活で達成させることにしたわけです。他方ゴアさんは、権力の座から公的に国民を誘おうとして、いま一歩のところでその機会を失った。

 一番いけないのは、権力の座にある人が、目先の私欲に駆られて深く考えず、庶民を2度もあたふたさせるようなことをすることです。3面張り河川を近自然河川に修復するぐらいはまだしも、大量消費に酔っ払わせて利益を得ながら、その尻拭いを制度で押し付けてまた利得を得るようなことは、つまりマッチポンプ(火付けで儲け、火消して儲けるような振る舞い)は許されません。

 もしゴアさんが政治的に影響力を及ぼし、人々を誘える立場にあったら、それは欲望の解放を抑制するブレーキのような誤解を受けて(身に危険が及んで?)いたことでしょう。私は逆に、人生を愉快にするアクセルを追求してきましたが、ゴアさんになら格好のアクセルだと理解して共感してもらえていたに違いない、と考えたわけです。

 この共感の源泉は、ヒトの多様性と、未知の可能性を認めるところにあり、ヒトを欲望というサルやイヌと共有しあっている欲望の世界に圧し留めたり留まったりしてはいけないと意識するところにあるのではないでしょうか。

 余談ですが、そう考えてみたときに、ヒトを人と見ず、金太郎飴のように見て、機械のように生かそうとした政治的な意識を振り返り、許しがたき政治や政治家の意識だと気付かされています。まずこの点を押さえる必要性と、責めるならこの点から攻め立てる必要がある、と感じています。そして朝日川柳に、次のような句を見つけました。