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人形展、裁判、野小屋の棚 07/03/18

 めまぐるしい1週間でした。妻の人形教室展はとても賑わいました。ある裁判の公判を傍聴し、そのあとで『それでもボクはやっていない』という映画を妻と見ました。野小屋に収納棚を設け、森の囲炉裏場で用いる五徳とかコンロなどを収め始めました。門扉脇に植え込みがあるのですが、その周りにも砂利止めの石を並べました。ついでに植え込みの根元に流れ込んでいた砂利を取り除き、土を加え、肥料をやりました。夏野菜のための畝作りに手を付けています。楽しい来客や嬉しい本にも恵まれましたし、泊りがけの出張もこなしました。庭はいよいよ春の賑わいです。

 妻の人形教室展が日曜日に終わりました。「それぞれのひなたち」とのテーマの下に、これまでとは違い、各人が約1uのスペースを受け持って「思い思いのひな」を演出したわけですが、とても面白い試みでした。妻は常々、それぞれの多様な人に「人形を通してそれぞれの願いや想いを形にしてもらえたら」と願い、「そのための場や機会や元気などを用意したい」と話していましたが、その願いがそのまま形になったかのような印象を受けました。

 3人冠女や5人囃しを車座にさせ、回転する円盤にのせて見せた人や、3人冠女を酔っ払わせた人がいました。アーミシュの詩や奄美大島の伝説にテーマを求めた人とか広島での原爆被災に想いをはせた人もいました。雛寿司を作って祝った思い出を振り返り、親王飾りにみたてたお寿司を持たせた人形を作った人や、雪洞(ぼんぼり)や屏風からお雛さんまですべてを粘土でつくってみせた人もいました。それぞれの人が心に秘めていた宝物を目の当りにしたような気分です。

 わけあって15年ぶりで裁判の傍聴をしました。原告か被告のいずれかが嘘をついており、私にはいずれが嘘をついているのか分かっていますが、判事の目にはいずれが真実と映るのかを確かめたくて覗きました。その後で、話題の映画を見たわけです。痴漢と誤解された青年が国家権力に翻弄される姿が描きだされていました。問題は、痴漢と誤解した女性にあるのでしょうが、ここまで国家権力は国民の人権を踏みにじってよいものか、と心配になりました。国を愛せよ、と法律で規定したくなる心境が理解できたような感じです。国家は国民を愛していない。

 野小屋の棚はホームビルダーに作ってもらいました。もちろん私にも(出来栄えは劣るでしょうが)造れますが、私の願いを形にしてもらいたかったのです。世の中では、作った人の顔が見えない既製品を消費するのが当たり前になっていますが、味気ない。それぞれの人が得手とする仕事を確立しあい、顔の見える間柄で手作りしあい、大切に用いる世の中にしたいのです。

 昨年、太い松を切り倒してもらいましたが、その造園屋さんから電話があり、赤松の駒切りを「いりませんか」と声をかけられました。どこかで立ち枯れた松を伐採したようですが、近頃は捨て場に困るとか。昔なら燃料として引っ張りだこであったわけですが、今は厄介者とか。わが家もこの冬は薪ストーブを焚く日がほとんどなく、薪があまり気味で、保管場所に困るのですが、半分引き取りました。残りは義妹が引き取り、何かに生かすようです。

 来客は、拙著が縁で知り合った知人が転居の挨拶に、過日夜久野の「木と漆の館」に訪ねた人たちが庭の見学に、昨年21周年記念パーティーで講演をさせてもらった会社の人が春の催しの下打ち合わせに、あるいは若手の経営者が相談事に、などと続きました。

 姫コブシが咲き始めました。ハクモクレンの蕾も膨らんでいます。畑では白菜や壬生菜が薹を立て始めており、やがて大根も立てることでしょう。11月の菜花から始まった花芽のシーズンが佳境に入ったわけです。おひたしに、揚げとの煮付けに、あるいはシーズン終盤の鍋物になどに生かして楽しんでいます。週末になって寒さがぶり返し、桜のつぼみが縮みあがっています。

 
妻は、掌にお内裏様をのせた十二単姿の女性も出品していましたが、なんだか誤解を与えそうな印象を受けました。誰ですか掌にのせられているのは。
門扉脇の植え込みの周りにも砂利止めの石を並べました。一輪車一杯分の砂利が流れ込んでいましたから、それを取り除くのに2時間を要しました。なぜか小石を取り除いている途中でニキビをつぶした頃を思い出し、躍起になって1つ残らずに取り除きたくなってしまいました。

 

  野小屋の棚。出張で不在中に、思い通りの棚が出来上がっていました。いずれ時間が出来たら、野小屋の整理をしたく思っています。『自活のススメ』も終わりますし、飛び込みで入った緊張を要する仕事も早晩終わりますから、楽しみはその後で、と考えています。
  市内に出かけた折に、地下鉄の駅で下駄や瓦など(工事中に出土した)を見かけました。下駄を別注で作っていたのかな、と感じられるほど1つ1つ形や大きさなどが異なっていました。鼻緒を守る工夫がされたものなど、簡単には使い捨てていなかったようです。
エゾヤマツツジが満開。今年は暖冬でしたが、今頃になって冷え込む日が続きます。父が死んだ年は命日の2月25日に満開でしたが、その冬も冷え込む時はしっかりと冷えんでおり、柑橘類には寒冷紗を被せるなど冬の対策をしています。要はこのところ、天候がとても不順だということでしょう。
菜花が満開です。野菜の滋養面でいえば、路地育ちの野菜の花芽が一番栄養に富んでいそうに私は感じています。だけど小鳥は手を出しません。だからいつも人間は罪深い動物かな、と考えながら賞味しています。
パタゴニア社の創業者がしたためた本が贈られてきました。幾度も面談した人の考え方が文字にされており、懐かしく思いながら読みました。この人はまさにコンシステントな人ですから、取材した内容を安心して文字に出来た人です。