既成概念

 


 ヤブガラシは蔓性の宿根草で、勢いよく成長して木や竹にはい登り、覆いかぶさって日陰にし、竹藪も枯らしかねないほどです。だから新芽や蔓を見かけたら引き抜くようにしてきました。

 ところが、その若芽がおいしいことを知り、いつの間にか新芽が出る頃になると探し回り、毎年1〜2回は芽吹いたばかりの新芽を取って賞味するようになっていました。だから、それまでは勢よくはびこるヤブガラシに泣かされていたのに、近頃は数が減ってしまい、一食分の採取をするのに苦労するまでになっていたのです。

 友がいうように、そこそこ大きく育ててから先端の新芽だけ収穫すれば、下部の大きく育った蔓が次々と枝分かれさせるかのごとくに新芽を吹かせ、2度目3度目の収穫も可能にすれば宿根もいためずに済ませられそうです。現実に,トウミョウという新芽を食べるエンドウマメでは、そうして収穫しています。

 いわれてみればその通りですが、そうはしていなかったのです。きっと体が「根絶やにしたい」と思っていた頃に身につけた採り方に従わせていたのでしょう。既成概念に従っていたわけです。机の上で学んだだけの勉強では現実の生活ではほとんど生かせないものですが、それを思い知らされたような気がしました。

 この春にでも新たな採り方を経験すれば、私は根絶やしにせずにすむ新芽の採り方も終生身につけて生かせそうですが、さてどうするか。