彼女の嘆きを聞きながら、私はその根本は有権者にある、と思いました。有権者は選択を間違っている恐れがある、と思いました。
今の首相は教育改悪を叫び、「美しい国」を標榜しています。また、メールマガジンでは「空き缶を捨てる子どもには、法律で禁止されていなくてもそうした行為は恥かしい、やってはいけないのだという道徳や規範意識を身に付けさせることが必要」と述べている、と新聞が報道していました。それはよいことです。問題はその反面で、前の首相が日銀総裁の道徳的欠如を許した論法とよく似た論法で、松岡農水相をかばったことなどにあります。これは上のメールマガジンの意見を台無しにするだけではすまない問題を含んでいるのではないでしょうか。
法律で禁止されていなくても、子どもまでが首をかしげるようなことを重責にある人が犯したときは厳しく叱責し、懲罰的な鉄槌を加えなければいけないはずです。たとえば、それを禁じる法律を作っていなかったことを恥じるだけでなく、作らなければならなくなったことも恥じ、たとえば「松岡法」という名の下に立法するなどして永遠に記念するぐらいであってほしい。さもないと、国を愛する心も、美しい国も作れそうにないし、それを強制すれば心と行動のいっちが見られなくなり、仕事場におけるモラールの低下などに結び付けかねないと思います。
首相は次のような川柳(1〜3句 20070511_朝日)を作らせていました。
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