無関心を恥じました

 

 大本山大覚寺の華道・嵯峨御流の機関紙『嵯峨』2月号で、江戸時代の数学者吉田光由と『塵劫記』@を知りました。身近なところに大数学者の遺功があったことに驚いていたのですが、先週の土曜日に『嵯峨』の編集局に電話を入れ「もう少し詳しい情報はないものか」と問い合わせたところ、その日のうちに追加資料A(その一部)を届けてもらえたのです。その翌日、常寂光寺をたずねましたが、その帰途、『塵劫記』と彫り込まれた石碑Bをみかけたのです。もっと身近な所に足跡があったわけです。この石碑があることはかねてから知っていたのですが、『塵劫記』と大きく彫り込まれていながら関心を示さず、これまで興味を示したことがなかったのです。無知というか、無関心を恥じました。

 同様に、今週は宙に浮いた年金記録が問題になりましたが、無関心を恥じています。公的年金は強制的に徴収されることは知っていましたが、受け取るのは「申請主義」だとは知らなかったのです。その後、強制徴収したお金の処置をあいまいにしていた事例も報道されました。「まさか」「それはないよ」と思うと同時に、日本という国の本質を追認したような思いがして、無関心であったことを恥じました。


『塵劫記』@

 

追加資料A

 

石碑B