これまで私は「分別」のあることを良い意味に感じ、無分別であることを悪い意味にとらえていました。だが、逆さまであった、と知ったのです。仏教では、無分別であることを最も大切にしている、と知ったのです。そして納得したのです。
これまで私は、肌の色、性、年齢、出自、貧富などで分け隔てをしない人になりたい、と願ってきました。出来ることなら、人間だけでなく、すべての生き物を分け隔てしない人になりたい、とさえ願ってきました。人間も動物である以上、植物や他の動物を食べざるを得ない。それだけに、すべての生き物との共生を大切にしたい、と心がけてきました。つまり、人間は自然の一部に過ぎないと認識するように努めてきたわけです。それが願っているようには出来ていないことを残念に思ってきた次第です。だから幼友達からヒントを得て、納得したのです。
仏教用語として、次のように説明されています。
「無分別」
「分別」は、心が外界の事物を思いはかり、善悪、苦楽などを区別する意味で、世間では「分別ある人」といえば
立派な人で、逆に「無分別な人」といえば、いい意味に取られない。しかし、仏教では「分別」は良し悪しを区別
するところから、煩悩にとらわれ、欲に執着する凡人が勝手に作り上げた妄想の世界であるから、この「分別」を
排した「無分別」の境地を最高とする。「とらわれず」「こだわらず」「かたよらず」が「無分別」の精神で、特
に禅宗では、「無分別」は無の境地に通じるものとして、そうなることへの修行を欠かさない。
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