大笑いさせられています

 

 酒席には大日本帝国の栄誉ある連隊に徴兵された体験者も出席していました。そして酒宴の終わりごろに、戦時中の日本を物語る愉快な話が飛び出しました。その連隊は、日露戦争では6000人の戦死者を出して旅順攻略に成功しています。その栄誉ある連隊に敗戦直前に配属された人が体験談を披露したのです。

 昭和20年7月、敗戦1ヶ月前に、ニシキ(2445)連隊(?)3000人を前に、安岡毅連隊長は「竹がある限り(日本は)勝つ」と竹槍精神をぶった、そうです。この体験者は「民間人に精神訓話として話すなら分かるが、あんなことを兵隊に言うようではもうおしまいだ」と仲間内で語り、2度と生きては出られいと恐れられていた営倉にぶち込まれました。そこでぶち込んだものに「このことを安岡連隊長はご存知だろうな」と話したところ、3時間で出してもらえたというのです。

 当時の日本は日本軍によって蹂躙されており、軍の意向に反する言動は命がけでないと許されなかった。軍が知りながら軍が見逃していたことは、軍の意向に沿ったものと見るべきだし、軍が恩恵を受けていたことや軍人が関っていたことはすべて軍の意向に沿って現実化したと見てよいようです。さもなければ、例外を除いて、たとえ意見の表明であっても軍に命を奪われかねなかった。とりわけ末期は、それほど軍は神経過敏になり、意向に沿わない言動が敗色の原因とばかりに弾圧したようです。この体験者は名家の出であり、安岡毅連隊長も若き頃にその名家にずいぶん世話になっており、それが功を奏して命拾いしたようなのです。

 もちろん安岡毅連隊長も日本を愛し、美しい日本を願っていたのでしょうが、それは真面目に不真面目なことをしていたことになるでしょう。