商社はかつて、軍国主義社会にドップリと浸かり、そこで利得を得ようとして戦争に加担しています。今日の商社も、市場経済主義社会にドップリと浸かって経済戦争に加担しており、同じような失敗を繰り返しかねなくなっています。つまり資源枯渇や環境破壊問題など今日の諸問題をより深刻にする役割を担っていますが、そんなことを続けていてもよいのか。このように私は30年ほど前に考えてしまいました。
1966年、商社に入って4年目のことでした。わが国の自動車会社が何とかして欧米に輸出できる車を作り出そうとして必死に努力をしていた頃のことです。恩人の1人である部長に、米国出張を勧められ、そこで構想した形にした報告書を書いています。当時の総合商社はどことも、繊維部門の取扱商品は綿や糸とか生地などの原料に限っていました。この報告書は、この伝統を破って取扱商品を衣料などの製品に転換することを提唱するものでした。
当時の日本では、既製服を「首吊り」と呼んで蔑み、背広や女性のスーツなどは仕立て屋で誂えてもらい、シャツやドレスは家庭で仕立てて用いるのが当たり前の時代でした。しかし、そうも言っておられない時代が来ると考えて、商社の力で既製服化を進めよう、との提案でした、それは、商社の主要取引先を、紡績会社からアパレル企業に転じる提唱でもあったわけです。商社の力を生かして、世界に誇りうる既製服を生み出せる国にしなければ、日本の繊維産業の未来は暗い、と見ていたわけです。
この提案は即刻採用されて会社の方針になったにもかかわらず、思ったような成果が上がりませんでした。そこで、ファッションをシステムとして捉える子会社を作らせて欲しい、と次の願いを出し、採用してもらっています。成果が上がらない原因をソフトウエアーの欠如と見てとり、欧米の先進企業と技術導入契約を結ぶなどして、一刻も早く技術面を習得して、日本独自の服飾体系を打ち立てたかったのです。
ところがこのたびの新聞記事は、欧米の有名ブランドに「おんぶに抱っこ」するようなビジネスに留まり、そこで上げる利得の額に得意げになっているかのように感じさせたのです。つまり、服飾面で欧米を真似ることに汲々とする国民にしていたように思わせたのです。
私には1つの構想がありました。欧米型の生活が環境破壊や資源枯渇など今日の社会問題の原因であると見ていました。だから、商社の使命を改めたかったのです。世界中の人がまねたらすぐに地球をパンクさせかねない工業社会を囃すのではなく、世界中の人がまねたら次第に地球環境が復元するような時代を切り開くために貢献する役割を担いたかったのです。
わが国には江戸時代という循環型社会を形成した時代がありましたし、縄文人という戦争をしなかった人々の血も受け継いでいます。こうした歴史も思い出し、また憲法9条があることを誇りにして、工業時代に次ぐ新しい時代を構想し、世界に広める役割を商社に期待したのです。繊維部門は、率先して新しい時代にふさわしい生き方のモデルやそれにふさわしい服飾体系をつくりだし、その体系や生き方を全社的に、さらには世界に広める役割を担う構想でした。
だから、工業時代に次ぐ新しい時代を第4時代と名付け、第4時代到来論とかコットンハウス企画などと名付けた論や案を1970年ごろから打ち出しました。しかしつたない言葉や文字やスケッチでは願ったようには理解してもらえず、商社に留まって情熱を傾け続ける気力を見出せなくなくなってしまい、辞めています。むしろ自己リスクで、目で見たり体で感じてもらえたりするモデルを作り出して示す方が、楽しいに違いないし説得力を持つはずだ、と考えたのです。
幸いなことに、私生活では1963年に、下水道がないところに住宅金融公庫を生かして家を建て、野菜や燃料などの自給を目指し始めており、循環型の生活をしていました。また、1973年には第4時代に備える理念(後年、それに「アイトワのコンセプト」と名づけています)を考え出していました。だからそれらを土台にして、次の生き方の1つのモデルとして目に見える形に磨き上げることに情熱を傾けることにしたのです(1986年には、そのモデルがほぼ完成したものと見て、アイトワと名付けて公開しています)。
この情熱は1988年に『ビブギオールカラー ポスト消費社会の旗手たち』という処女出版に結びつけました。工業時代が生み出したホワイトカラーやブルーカラーなど単色の人に甘んじておらず、自己完結性に富んだ多彩な人「VIBGIOR collar」になって、消費社会に継ぐ新しい時代を創出し、旗手となって誘おう、との呼びかけでした。
こうした新しい時代の創出には取りまとめ役が必要です。ふさわしい街づくりをするにしても、衣食住のあり方を改めるにしても、これまでの消費型から循環型に改めたり創造型に造り直したりしなければならず、コンダクターが必要です。その役割を商社に期待していたわけです。
商社はかつて、既存の戦時体制社会にドップリと浸かり、そこで利得を上げようとして戦争に加担しています。今日の経済戦争体制の社会でも経済戦争に加担し続けていますが、そんなことでよいのでしゅか。それでは戦前の二の舞にならないか。いわんや経済戦争体制の下で、直接消費者にまで爪を伸ばせば、赤子の手をひねるより簡単な儲け方を編み出せそうですが、それでは消費者を食い物にするようなことにならないか。まだ、衣の面に限っている間は見破られにくいが、食の面で寡占化にまで手を染めて暴利を求めたりするよなことをすれば、きっと社会的な非難の対象にされるに違いない、と心配です。
逆に、環境破壊や資源枯渇問題などに関らずい済ませる新しい時代の創出を構想し、人々をそこに誘う役目を担い、そこに新しい商機を見出すべきではないか。これが私の願いでした。
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