20年ほど前から雲南省の少数民族村を幾度も訪ねてきた人と一緒になりましたが、その人が気付いていなかったこともありました。それは村の臭いです。
「都会から観光客を受け入れ、生計の足しにしようとする人が増え出すと、なぜかその村は悪臭を放つようになる」と、私はインドネシアなどでの体験談をもらしました。
その2日後、観光客をいまだ受け入れていない2つの村を予告もなしに訪ねました@が、その折にその人は「臭いませんね」と、気付きました。
それぞれ村長の案内で村を見て回りました。水牛や豚や鶏Aを同じように飼っていましたし、トイレの様式Bも同じでした。各戸の入口近くに糞塘(ふんとう)Cと呼ぶ肥料を溜める施設を設けている村でも臭いませんでした。現金収入を目指して観光客を受け入れ始めた箐口村のような臭いがなかったのです。
私は、その臭いを環境破壊度のバロメーターのように見ています。都会のように悪臭の素を外部に捨て去るわけには行かず、家畜の餌や肥料など資源として生かさなければならない生き方ですから、バクテリアなどとのバランスが崩れると悪臭を放つようになる、と見ているのです。
バランスが保たれているところでは、村人が燃料にするためDに牛の糞をすくい取るのに遅れると、鶏などが直ちにかき回して未消化の種などをあさっていました。だからすぐに乾燥しますし、糞ころがしやバクテリアが待ち構えており、腐る暇を与えない。残飯も、出る尻から大鍋に掘り込み、ブタの餌などに煮ていました。
それまで通りの循環型生活の形態を維持しながら、外部から余分な人を呼び入れたり、自然が分解できないプラスチックなどを運び込んだりすると、そのバランスが崩れる上に、現金収入の向上策に追われて煮たり燃料にしたりするテンポが崩れがちです。そうなると悪臭が漂い始める。そして、住人は次第に悪臭に麻痺してしまう、のではないか。
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