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アイトワ循環図

オリジナルと偶然の掛け合わせ  07/10/07

 週の初めと終わりがとりわけ印象深い1週間でした。雨になった日曜日は、前日迎えた編集者、デザイナー、そしてカメラマンの3人と一緒に傘をかざして庭を巡ったりお茶を飲んだりしながら次の本の構想を練り、快晴の週末は妻と披露宴に招かれて未来に夢を馳せるスピーチをさせてもらいました。3月に南九州を旅した友の息子が結婚し、引き出物に拙著も加えてくれたのです。

 カメラマンには快晴となった火曜日まで残ってもらいました。だから続けて9回も食事を共にし、屋内の工夫や庭の構造などの説明だけでなく、ありのままのわが家を体験してもらえたのです。食事では庭の野菜や野草を味わい、風呂では庭の薬草だけの沐浴剤を生かして同じ湯を3晩続けて用いる体験をしてもらいました。わが家が大切にしている豊かさは、オリジナル性と偶然性の掛け合わせの成果です。だから一緒に再現性に欠ける成果を体験してもらえたことを喜んでいます。

 食事では、最初のカブラの間引き菜はおひたしに、最後のニガウリのモヤシはみそ汁の具に、初掘りのヤーコンとコイモはキンピラと筑前煮に、切り返したナスビの初成りは夕食の焼きナスと朝食の浅漬けに、といった具合に生かしました。最後のハナオクラはネバネバ四君子に用い、私たち夫婦以外で最初に試した人になってもらえました。納豆にオクラや湯通ししたモロヘイヤと一緒に練り込むわが家流の朝の総菜です。庭では、56年前に植えた松の1本が枯れましたから鋸で切り倒し、エンジンソーで駒切りする場面や、数色の彼岸花が咲き揃いましたから妻が側に人形を持ち出してカメラに納める場面にも立ち会ってもらいました。夜はマツムシとエンマコオロギの声をこの夏初めて耳にしましたが、まどろみながら楽しんでもらえたはずです。

 この間に、過日中学時代の母校で行った特別授業の反応があったり、毒蛇に咬まれたり蜂に刺されたりしたときに用いる毒抜きの道具を送ってもらったりしています。金曜日は午前中を京都の緑地に関わる委員会に割き、午後は東京の女子大で教員をしている友を迎え、庭の案内と歓談に割いて楽しんでいます。もちろんこうした合間合間に庭仕事にも精を出しています。

 やっと後輩のアンケートの集計ができたとのことで、校長先生と担当の教諭が持参してくださったのです。アンケートには「このままでは地球の環境はだめになってしまう、と思うことがある」と自問を迫るような設問もあったのですが、男子では113人中93人と8割以上が「ハイ」と答え、「イイエ」は5人でした。女子では129人中82人がハイでしたが、それは1クラスだけが他とは大きく異なる数値であったためで、「これは何かのメッセージかもしれない」と思いました。それはともかく、当日は妻に送り迎えをしてもらったのですが、妻が感心するほど緑豊かで掃除の行き届いた学校になっていました。私は開校3年目の生徒でしたが、その校風を知った母は3年下の弟を無理をして私立の中学校に行かせています。当時から思えば、花園のような学校になっており、それは環境教育に熱心な校長先生の努力のたまものではないかと睨んでいます。

 後輩に自問も迫ったアンケート結果に目を通しながら、近頃増えている若い人からの相談ごとを思い出しました。その多くは自問する心に満ちた人からの相談であったことに気付かされたのです。だから若者を意識した次の本に対する意気込みと期待がとても高まりました。

 庭仕事では、腐葉土小屋で腐葉土の移動を始め、例年より早く腐葉土になっていることを知りました。エンジンソーを出したついでに、半日かけて溜まっていた雑木の整理をし、そのくずは剪定で残滓などと一緒に燃しました。畑では、苗族のトウモロコシを植えていた畝に新しい腐葉土を入れて仕立て直し、トマトの雨よけのフレームを外しました。妻は妹からホウレンソウの種をもらい、蒔きました。人参は出そろいました。次第に畑は冬の様子になりつつあります。

雑木を薪にするだけで半日がかりでした。山積みにしていた雑木を整理し、薪小屋や風呂の焚き口に運びました。切り倒した松の枝葉を生かして焚き火をし、週初めの雨で湿らせたこれまた山積みにしていた残滓を灰にしました。
毒蛇や蜂の毒を抜くフランス製の道具です。昨年「タビラコ」の苗を岐阜から持参してくださった野外活動家の女性からの贈り物で、長い手紙が添えられていました。マムシに咬まれたりスズメバチの巣の退治で逆襲され、11カ所も刺されたりした思い出がよみがえりました。蛇に咬まれて入院したり蜂ごときで医者に駆け込んだりした唯一の思い出です。
中学校の特別授業の様子を報じた校内報などと共に、アンケート結果を持参してもらいました。校長先生や教員のありようの大切さを思い知らされ次第です。
トマトのフレームを解体し、取り除いた様子。この状態で残っている実をとり、青い実は炒め物やピクルスに生かします。残りは次週、堆肥の山に積みます。トマトが日本に導入された当時は、青い状態で収穫し、野菜として生かしていました。
例年より早く腐葉土ができました。それは、楓などの軟らかくて薄っぺらい葉を意識的に積まなかったおかげだと思います。楓などの葉はべとついた層を作って腐らないだけでなく、その下部に雨を浸透させず、腐食を遅らせるからです。
虫に食われて熟した柿が次々と落ちる季節です。その実をねらってメジロなどの小鳥が集まってきます。
緑地に関する専門委員会が開かれた会場の庭の一部です。ふと、この庭に声楽に触れた人を誘い、歌って聞かせてもらいたいものだ、と思いました。