この立ち上がる湯気が、なぜか「茅葺き屋根の家は生きている」と感じさせました。その軒先を見上げたときにその感を強めました。すべて自然界で生きていた素材がそのまま使われていましたし、この家なら鉈や鋸や鎌などの道具と、その気さえあれば私にも造れそうだ、と思いました。
美山といえば、これまでは茅葺き集落がすべてかのように感じていたことを反省させられました。もちろん地図も見て、美山で有名な茅葺きの集落があるのは北村であり、北村は美山町の最北にある美山町のほんの一部だと頭で学んでいます。にもかかわらず、美山と聞けばいつもその茅葺きの集落を連想し、美山のすべてかのように感じていたことに気付かされたわけです。
宮島村で山水を飲み、美山町を通り抜けて舞鶴を目指しながら、体でその広さや多様性を体感したわけです。望むらくは、空間軸と時間軸の両方から美山を理解する機会に恵まれたいという気分にされています。
茅葺き資料館もありましたが、その軒先を見上げながら、こうした住居で育った子どもと鉄筋コンクリートの集合住宅で育った子どもとの間には大きな差違を生じさせそうだ、と感じました。前者の子どもなら、家造りは自分にでもできることだと考えながら育つことでしょうから、いざというときは自ら造りはじめることでしょう。
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