かつて、もしやと思って大学生に質問をしたことがあります。そして、その回答がもしやと思っていた通りであったために驚かされましたが、このたびその思い出を振り返っています。
それは、私がシホウチクの皮を剥こうとして妻にやめさせられた先週のことです。私は妻が人形作りに割く時間をちょっとでも多くしたかったのですが、その妻に皮剥きをやめさせられたのです。もたもたした包丁の使い方をしている私の姿を見て気の毒に思ったのか、危なげに感じたのでしょう。あるいは「男にはもっと他にすることがあるでしょう」といいたかったのかもしれません。いずれにせよ誠意から出た制止だということはわかります。
問題は、私たち夫婦が子供をもうけており、その子が皮むきをしようとしていたら妻はどうしていたのか、ということです。子どもは親がしていることを真似たいものです。そして生きる力だけでなく、失敗を重ねながら応用力や進取性や人の痛みに気付く心などを身につけるものです。だが、きっとわが子がもたもたと皮むきを始めていたら、妻は私の場合と同じようにやめさせ、「勉強しなさい」とでもいっていたのではないでしょうか。それも善意だと思いますが、もしそうしていしたら、ろくでもない子にしか育たななかったであろうなあ、と私は思ったのです。まじめに不真面目なことをしていたことになると思います。
かつて大学生に投げかけた質問と回答は次の通りです。「電線に10羽の雀がとまっていた。鉄砲で1羽撃ち落としたが、後に何羽残っていますか」でした。「9羽」との答えに対して幾人かの学生が笑い声をあげました。すると「おれ計算間違った」とあわてました。同時に、幾人かの他の学生が、笑った学生に対して「どうして笑うの」と問いかけたのです。
机の上だけでの勉強を重視する社会にしたり机の上だけでの勉強に秀でた人を幹部に登用したりしていると、もっと深刻な場面や複雑な事例で、笑ってはおれないような悲劇を生じさせかねなくなるのではないでしょうか。
近年は、誰しもが人間として持ちあわせて生まれていながら触発していない能力がありそうですが、今週はキノコの一件で、私はその能力の一端に目覚めさせられたような気分になっています。
それはともかく、今週は妻が人形工房にこもっている間にシホウチクの皮を剥きました。もちろん時間がかかりましたが、後で気付いた妻は「早く剥けましたね」とほめました。もう幾度か経験すれば私にも妻のように早く剥けようになることでしょう。
今週はテレビで、武器商社の接待漬けになりながら、便宜をはかっていないと言い通そうとする高級官僚を目にしました。ろくでもない人の1人かもかもしれません。
また、その防衛次官が閲兵をしている光景もテレビで見ました。敗戦直前の学徒動員壮行会で用いていた同じ行進曲が流れていました。新日本と旧日本はどこで切っているのでしょうか。不安です。防衛省は旧日本軍の体質や風土まで引き継いでいるのではないか、と不安です。
給油量訂正問題が問題になっていますが、隠蔽は論外ですし、ろくでもない論議もよしてほしい。アメリカは、日本の油をイラク攻撃にも使ったと表明したようなものですから、その是非を問う総選挙を急いで実施し、民意を問うべきです。つまり、アメリカ軍は同じ軍艦をイラク攻撃にも使っており、燃料タンクは1つしかないといったのですから、そのタンクに給油すれば直接イラク攻撃にも関与したことになるのは自明です。
食品の賞味期限の偽装も問題になっています。問題は、賞味期限の制度をもうけたこと自体が問題だと気付くべきです。早晩、製造日表示に変えなければならない時代が来ます。一刻も早く、国民を自己責任の下に食べて良いか否かを独力で判断できる人に育て直しておくべきです。さもないとパニックを生じやすい国にしたり、そのパニックを待ち受けていたかのようにして国民をあおり、軍国主義を復活させようとする人をのさばらせたりしかねません。そうした事態に国民を追い込みかねない食糧危機がそう遠くない将来に生じかねない国際状況です。
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