C型肝炎の薬害問題

 

 国は薬の許認可権を握りながら、患者のカルテを5年で廃棄することを病院に許していた。そして、C型肝炎の薬害問題でも、投薬された証拠を示せない人まで補償の対象にしてしまうと「補償額がどこまで膨らむかしれない」と不安がっていた。この姿勢こそが、日本らしい風土や体質を形作らせてきた根幹ではないでしょうか。このたびの折衝に当たった患者たちは、この点を問題にしたように思われるだけに立派だと思いました。

 折衝経緯を見聞しながら、私は小木貞孝の『死刑囚と無期囚の心理』という古い本を思い出しました。それだけに、不治ともいえる発病の可能性を知らせなかったことがいかに残酷なしうちであったのかを再認識しました。

 命の長短も大切な問題ですが、それよりももっと大切なものが人間にはあると思うからです。国は、国民の命だけでなく、そのもっと大切なものまで踏みにじったように感じられたのです。たとえ余命が1年であれ、1ヶ月であれ、死期さえ知らせてもらえれば覚悟を決めて、より有意義な人生に昇華させる力を人間は有しているように思います。その可能性まで国は奪ったことになりそうです。しょせん生き物は死ぬために生きているようなものものだと思うのですが、そこに至るプロセスに一喜一憂するのではなく、どのように死ねるようにするかにもっと丁寧になって欲しいと思います。