残念ながら、日本は、机の上の勉強だけですむ能力、しかも記憶力中心ですむ能力を調べる試験で人を選別し、その合格者をリーダーに据えがちになっていました。今の日本の惨状は、そのとがめではないでしょうか。アリストテレスが生きていたらそう指摘していたように思います。
最新鋭イージス艦は漁船を轟沈させめました。その第一報に接したときに、私は妻に「戦艦大和でさえ魚雷をよけたよ」と語りました。もっと大きくて運動性能が劣りながら、猛スピードで次々と迫る敵の魚雷を大和は操艦で避けています。
このイージス艦はなぜ避けられなかったのか。その必要性を感じない体質になっていたに違いない、と見ました。そのうちに「わが身を守るために高性能軍艦を求め」「わが身の地位を守るために謀議を重ねていた」ことが「露わになるよ」と妻に語っています。妻に「そうモノごとを悪く考えてはいけません」とたしなめられました。
日本の国民を本当に守ろうとしたら、憲法9条を字義通りに守ることだと思います。すでに触れてきたことですが、自衛隊の人員と予算には当分触らず、大切にする。ただし、軍備は放棄し、世界の災害救助隊に転換する。それを世界の中における日本の存在意義にする。
もっとも「武器をすべてなくしてしまえ」とまでは言いたくはありません。スイスのように、国民が国民のために武器を有する国家にできたらいいのになあ、と思います。かつてスイス出張の折に、民家の屋上にすえた高射砲を見ました。男子はほぼ全員が武器操作できるそうです。
教育を改めることが求められていると思います。肝心のことに気付いていないこのたびの教育改革は、さらに日本をだめにしていたことがやがて明らかになるでしょう。
言ってしまえば、国家として金融資産を誇ることが出来ている間に、世界の人的資産として日本人を誇る国家に改めることではないでしょうか。少なくともジャポニスムを生じさせた人たちは江戸時代の日本人の心意気をそうしたあこがれの目で見ていたように思います。
かつてオランダは世界一の金融資産を誇っていた時代に今日の国の形をつくっています。
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