大垣市環境市民会議が主催する環境フェスティバルに出かけました。そこで念願の映画を観ました。写真家の大西暢夫さんが監督した映画『水になった村』です。
約1600人500世帯が暮らしていた岐阜県の徳山村がダムの底に沈みました。その過程で生じた現象を、1人で15年かけてテープに収録し、1人で編集したもので、素晴らしい映画でした。代々住み慣れたわが家をつぶされる現場で思い出の品々を拾うシーン(?)もありました@。
この自然計画では、豊かな自然(自然資本)と助け合う人間関係(人的資本)が生きる礎だと先週ふれました。この映画『水になった村』は、その礎を産業資本が破壊したことをとてもわかりやすく訴える内容でした。50年ほどの間の電力などを得るために、永遠に千数百人の人が生き続けられる生活空間、里千里山をつぶしていいものか、と思いました。
2人の女性高齢者から見事な言葉を引き出していましたA。ですから素晴らしい映画だといっそう思いました。その言葉をここに記したくて同名の著作を買い求めました。また、3月22日に京都で自主上映会があると聴き、そこでメモを取ろうと考えました。著作を読み進んでいますがまだ出てきません。22日は先約が入っていました。でも、なんとかして知りうるようにします。
なお、その夜は6年ぶりの友と一献傾けました。40年以上前に仕事で訪ねた会社の社長で、10数年は取引関係でした。岐阜より出かけてもらって4時間以上も語らいました。翌日は大垣城を初めて訪れましたB。その後、大垣の友にハリオCの飼育状況や自噴水Dの見学と近年出来たショッピングセンターEの案内をしてもらいました。
60年代の後半にアメリカに出現したショッピングセンターを今頃になって大垣にまで造るようでは時代おくれだと思います。店舗名が、1〜2の例外を除いてことごとくローマ字表示でもあり、まるでアメリカのショッピングセンターに迷い込んだような錯覚におそわれました。大垣への往路で、JRの嵯峨嵐山駅と米原駅で完成の域に近づきつつある駅舎を観ましたが、これも時代遅れだと思いました。いずれも大型ゴミを造っていたようなことになるのではないでしょうか。
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