年老いた主婦の偉大さ

 

  この主婦たちは、「塩さえあれば家族を腹いっぱいに出来る」といいます。80歳になっても雪渓まで登って山菜を収穫し、塩漬けにして冬を越す食糧を用意します。家族の健康管理にも気をはらい、薬草を摘み、夫と一緒に収穫した薬木から薬をこしらえ、家族の病を癒しました。かつては衣服も、草木や繭から糸を紡ぎ、家族の需要を満たしました。

 映画では、最後のワサビの収穫もとらえていました。引き抜いたワサビが小さかったと分かれば埋め直し、流されないように重しの石を上に乗せていました。大西監督は、もうすぐ湖底に沈んでしまうことが分かっているのに、と嘆きました。

 大西暢夫さんは、移住してから20年が経過した町の家に2人の主婦を訪ね、心境を聞き出しています。その家を、事情が分からない街の人たちは「徳山御殿」と揶揄しますが、それを大西さんは監督として「差別用語」だと語っています。

 主婦であった1人、「ゆきえ」さんは、短い会話の中で「なんにものうなってしもうた」と何回も口にします。「まあいうたら、早い話が」「毎日が金やで」と語り、消費者に成り下がってしまい、主婦の力量が発揮できなくなったことを、つまり創造的に立ち働いて家族を束ねた力量を不要にした生活を嘆きます。家族を束ねた自信や誇りを見失わせる社会を悲しんでいるようです。お袋の味を見失った子どもや、ヤマノカミとしておののかなくなった夫、あるいはお袋の味やヤマノカミとしての不動の座を不要にした家屋や社会を嘆いているようです。

 「徳山御殿」と揶揄される家屋に住まいながら、強制移住で里地里山を「売ってしもうたら、なんにものうなってしもうた」と語ります。そして、「なんにも残すもんはない」すべてを「一代で失のうてしもうたんや」と反省します。

 創造的に、かつ自制的に立ち働けば、数100家族、1000数百人が永遠に生き続けられる里地里山という生活空間を失ったことに気付いているのです。大西監督は、そうまでした街の人は電気が必要なのか、しかも数10年で用を果たさなくなるダムが必要なのか、と疑問を投げかけます。

 私は、徳山村を1つ残しておく方が、限られた数の人間しか逃げ込めない宇宙ステーションを造るよりも、はるかに意義のあることだと考えます。
 

 もう1人の「じょ」さんは、痴呆症が出ており、おとずれた大西監督を見分け兼ねなくなっていました。優しい人であったとの記憶は残っているようです。かつて大西さんに、自分で育てた小豆と餅米で大きな「ぼた餅」を振る舞ったりしたじょさんですが、大西さんにあげる物がなんにもなくなったことを嘆くかのように、指輪を外して、持って帰れと大西さんに執拗に迫ります。大西さんは、じょさんと結婚したような誤解を与えるから、といって辞退します。
 じょさんは、徳山村にあった我が家、つまり生きる基盤の基点として機能した古民家を、ユンボでつぶされるときに立ち会っています。立ち会い、思い出の品々を拾い取っていながら、その家は今も「残っているやろ」と2度にわたって繰り返していました。
 工業社会は女性までロボット代わりにしていたわけです。美しい空気や水を汚し、資源を枯渇させ、「生きる基盤」を奪い取り、主婦の力を無用にしてしまったわけです。子どもたちに、お金さえあれば「お母さんなんていらない」と言わせたり、「コンビニの方が大切」と思わせたりする世の中に造りかえるために、女性までロボット代わりにしてきたわけです。