年老いた主婦の偉大さ
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この主婦たちは、「塩さえあれば家族を腹いっぱいに出来る」といいます。80歳になっても雪渓まで登って山菜を収穫し、塩漬けにして冬を越す食糧を用意します。家族の健康管理にも気をはらい、薬草を摘み、夫と一緒に収穫した薬木から薬をこしらえ、家族の病を癒しました。かつては衣服も、草木や繭から糸を紡ぎ、家族の需要を満たしました。 |
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もう1人の「じょ」さんは、痴呆症が出ており、おとずれた大西監督を見分け兼ねなくなっていました。優しい人であったとの記憶は残っているようです。かつて大西さんに、自分で育てた小豆と餅米で大きな「ぼた餅」を振る舞ったりしたじょさんですが、大西さんにあげる物がなんにもなくなったことを嘆くかのように、指輪を外して、持って帰れと大西さんに執拗に迫ります。大西さんは、じょさんと結婚したような誤解を与えるから、といって辞退します。 | |
じょさんは、徳山村にあった我が家、つまり生きる基盤の基点として機能した古民家を、ユンボでつぶされるときに立ち会っています。立ち会い、思い出の品々を拾い取っていながら、その家は今も「残っているやろ」と2度にわたって繰り返していました。 | |
工業社会は女性までロボット代わりにしていたわけです。美しい空気や水を汚し、資源を枯渇させ、「生きる基盤」を奪い取り、主婦の力を無用にしてしまったわけです。子どもたちに、お金さえあれば「お母さんなんていらない」と言わせたり、「コンビニの方が大切」と思わせたりする世の中に造りかえるために、女性までロボット代わりにしてきたわけです。 |
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