ご明察
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アイトワの空間は、庭のような美しさと、農地に見るような頼もしさが両立していますね。それが心地よい。その人はそう指摘しました。 これに対して、私は創造性の有無を指摘されたように感じて嬉しくなりました。欲望の解放から、人間固有の喜びを追求する生き方への移行を認めてもらえたように感じたのです。 農業にしろ、里山の生活にしろ、あるいはこれまでの庭園や庭にしろ、私には物足りないモノがある。ですから、その物足りないモノを埋め合わせるところに意義を見いだそうとするような人生になってしまったわけです。それがエコライフガーデン創りです。 農業や里山の生活は、「生きんがために」との意識が強く働き、ややもすると自然の収奪に走りかねない一面がありました。それが今日の農業の惨状に結びつけたのでしょう。機械化や農薬漬けなどの農業です。植物を育てながら、炭酸ガス排出産業にしてしまった。とはいえこれを、非難したくはありません、むしろ同情しています。なぜなら「生きんがために」にならざるを得なかったように思われるからです。不労所得者に寄生されていたからです。 これまでの庭園や庭も、自然の収奪に走りかねない一面がありました。庭から有機物のゴミが出るなんてナンセンスだと思います。庭を持っていながら庭造りには一切関与しない人がいるのも不思議です。それは不労所得に寄生しがちの人が、そのゆとりの表現や、潤いの場として庭を持つ傾向があったからでしょう。とはいえ、これも非難したくはありません、むしろ同情しています。なぜ自ら手を出そうとしなかったのか、それは無知が原因、押しつけられた悪しき意識が原因だと思うからです。その弊害が、今では農業を辛い仕事とか汚い仕事とか、土や虫を気持ち悪いとか教えがちな親を増やしてきたのではないでしょうか。 話は飛躍するようですが、その考え方が今日の親子関係にも現れているのではないか。子を持ちながら育児や家庭教育をおろそかにして、保育施設や学校に期待する。そうした機関でよい子に育ててもらって愛でようとする。その反面で、そのためのお金を得るために、土や空気や水を汚してきた。ニュージーランドの人たちとは逆の生き方 (自活のススメ 65 ・ 67 ・ 68 ・ 70 ・ 72)をしてきたわけです。これも非難したくはありません、むしろ同情しています。これも無知が原因だと思うのです。 こうしたことが重なって、今日の環境問題や家庭崩壊問題などを生じさせてきたように思います。つきつめれば、それらはすべて地球への負荷と、人心へのストレスを高めていたように思うのです。近年は、それが次第に明らかになってきたように思います。 オーガニック野菜や食品とは、有機栽培の野菜や食品のことではありません。オーガニック野菜や食品とは、地球に負荷を掛けない野菜や食品のことです。有機栽培だけでなく、露地栽培で、地産地消で、と限りなく地球への負荷をなくす野菜や食品のことです。 オーガニック野菜や食品を求める資格は、オーガニックな生き方を志向することではないでしょうか。オーガニックな世創りをすることではないでしょうか。さもないと、日本はこのままずるずると、惨めな国になってしまいますと訴えたくて、言葉を換えて説明しました。ですから、2時間も要してしまったのです。 もうすぐ、お金を出しても食品を買えない時代になります。同じお金を出す人がいたら、日本人は後回しにされる。そのような国に日本になりつつあるように思います。 裁判所の判決に、小泉さんは「おかしな」考え方をする人がいるモノだと言いました。こんな人を放置してきた国が、どうして世界から信頼されるでしょうか。50歩ゆずって言えば、どちらかが間違っているのです。それを明らかにしないといけない。 このたび、福田さんも、裁判所の判決に、いささかも尊重する態度を示しませんでした。これもオーガニックのココロに反しています。それは私たちの責任です。 それはともかく、楽しい人たちでした。 |