反省

 

 塾生の中には、このたびの脱会を知らない人がいました。幹事から経過報告の後、私も事情を説明しました。価値観と時代観の相違が理由でした。

 アイトワ塾では、ココロとカラダの分離を残念に思う価値観や、価値観の多様化を尊重しています。それだけに、多様と雑多は異なる、と考えています。また、近く、現代の延長線上にない未来が到来する、との時代観を抱いています。

 脱会を勧めた塾生は、こうした点で理想と現実が次第に離れてゆく傾向にあるように見えました。そこで、2年ほど前からこの点をクローズアップし、注意を促してきました。このたび、自分の「信念を貫く」という言葉を聴かせてもらい、円満に脱会に応じてもらいました。

 このたびの塾では、「つぶす喜びより創る喜び」というテーマで学びました。

 これまでの社会は、企業(産業資本)が生み出す既製のモノやサービスを多消費するところに喜びや豊かさを認める傾向にありました。企業は、そうした社会を形成する過程で、豊かな自然(自然資本)と麗しき共同体(人的資本)を破壊しました。

 企業は、企業共同体を創出し、家庭を寝に帰る場のようにしてしまい、家族共同体や地域共同体(相互扶助関係を基本とした人的資本)を破壊しました。また、美しい空気、水、土を汚し、資源の枯渇化を進めました。自然資本の破壊です。このいずれもがピンチの状態です。

 これまでは、核家族化が2代目のテレビを、温暖化が冷房機を必要とさせたように、ピンチはことごとくビジネスチャンスに結びつけられてきました。しかし、もう限界です。

 本来の産業資本は、豊かな自然資本と人的資本といういわば両親の下に誕生し、スクスクと育って欲しいものです。しかし、現実は、あえていえば、子が両親を喰い殺しかねないところにまで至っています。その上に、わが国はもう一つの問題を抱えています。

 これまでのわが国の繁栄は、企業が、終身雇用、年功賃金、企業内労働組合などを打ち出して、企業共同体を強固にした成果です。従業員は残業や単身赴任をいとわず、ついには過労死を国際用語にするまで頑張りました。にもかかわらず、近年、多くの大手企業が、率先するかのごとくに、リストラという言葉を首切りと同義語にしてしまいました。出るも地獄、残るのも地獄の企業、企業共同体を木っ端みじんにした企業が多いのではないでしょうか。

 こうした企業まで支えてきたのが「つぶす喜び」です。企業が生み出す既製のモノやサービスの消費に明け暮れる生き方を支持した消費者の力です。消費者が「つぶす喜び」に狂奔しする限り、出るも地獄、残るのも地獄の企業ほど繁栄する余地が大きいのではないでしょうか。

 でも、それは、落城寸前の城の中で、あるいは火の手が回った家屋の中で、そうとは気付かずに、つぶす喜びに酔い続けているようなものではないでしょうか。

 ぼつぼつ、ここらで、異なる喜びを求めて生き方を改める必要があるようです。

 夏は涼しい部屋がいいとか、美味しいモノにありつきたい、などといった喜びは、すべての高等な動物と共感できる喜びだとは思いますし、私も求めますが、それだけでは寂しい。人間には、他の生き物には感受できない、あるいは生み出せない喜びも許されているのではないか。そうした喜びを、創る喜びと総称しようと語り合いました。

 この創る喜びは、それぞれの人の顔かたちが異なるように、多様であっていいし、むしろ多様が当然ではないか。それをお互いに愛でようではないか。そんなことを語り合いました。