考え込まされました

 

 『我が青春にくいなし』は黒沢明の戦後第一作で、原節子が好演でした。

 考え込まされたのは、この映画でも1945年8月15日を日本が一転した日ととらえていた点です。

 原節子は、軍部の干渉で京大を去ることになる教授の一人娘役です。ピアノが上手なモダーンな娘ですが、父を慕う2人の学生の間で心が揺れます。やがて、検事になった方ではなく、戦争抑止の活動に勤しむ方を選択します。その青春がテーマでした。

 夫は拷問死。その後、農家をいとなむ夫の両親に遺骨を届けるために初訪問しますが、スパイの親として差別されていました。そのまま居着き、農婦になり、夫の両親を支えます。やがて検事になった方が、旧友の墓参に来ますが、参らせません。

 敗戦、日本は一転し、父は復職し、その娘は我が青春にくいなしで終わります。ですから私は、考え込まされたわけです。

 その幾日か前に、たまたま新聞紙面で、無知を恥じる2つの記事を目にしていたからです。1つは、敗戦後1ケ月以上も後になって獄死した思想犯がいた、と知った記事@です。他の一つは、1990年代にずれ込んだとはいえ,ドイツではファシズムに報じた司法関係者を 糾弾済みなのに、日本ではいまだに手を付けずじまいにしているという記事でした。そうと知るまで、私は考えたこともないテーマでした。

 これと相前後して、もう1つの記事Aに目を引かれました。旧日本に裏切られた国民の訴えです。 我が国は国策で満州や朝鮮に移民させた国民だけでなく、シベリアに抑留させた兵士を、棄民棄兵にしていたわけです。その後のことは、過日2度にわたって舞鶴引揚げ記念館で調べたことは記載済みです。新日本は今、立法や行政だけでなく、司法も真価を問われているようです。
 

獄死した思想犯がいた、と知った記事@
 
もう1つの記事A