吉備高原の南端に開けた町です。1954年の昭和の大合併で、岡山県小田郡の美山町と星田町が合併して美星町となっています。平均標高300m、東西12km、南北13km、総面積72.7平方km、1,783戸、5,296人。古くから宅神、株神、荒神、氏神など4層の祭りを通して血縁や地縁の結束を確かめてきたようで、今も中世の集落景観を残す、しっとりとした地域です。
その昔、この一帯は星の郷と呼ばれるようになった、といわれます。流れ星が空中で3つに分かれ、星田村の北槙、八日市、本村に落ちた。これを神の使いと信じた人々は、星尾神社、高星神社、明神社を建てたことに由来します。その1つ、星尾神社@を訪れました。
承久年間、順徳帝の時代に落ちた流れ星が、水田の中で光り輝いていた。そこで村人は、正中元年(1324年)に星尾神社を建て、それまでの黒田村を星田村に改めたそうです。
訪れた仏画作家・あだち幸さんのお宅は、美星町の北東の角、烏頭地区の高台にありました。そのアトリエの南側にあるテラスから、烏頭と宇戸の2つの地域が見渡せますA。美星町の10分の1ほどの面積をしめる盆地状の一角ですが、なんとも幻想的な光景でした。小高い山並みの斜面には、棚田や赤土の畑が広がり、そこかしこに集落がありました。
このこんなところに住まうのは幸せだろうなと思いました。日本人の心の故郷はこのような光景ではないでしょうか。そのような気分にされました。
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