思えば、子育てや食事などを外部化しながら働きに出て、クタクタになっている女性がいるとすれば、その立場や生き方を見直さなければいけないようです。とりわけパートタイマーの立場でフル出勤に当たり、家事労働に割く精力を減退させたり、手抜きをしていたりしていたら、とても辛い問題を多々生じさせていたことになりそうです。
多くの人が賃金労働者になって、お互いに家事労働を外部化しあい、楽をしようとしてきたようなところがありますが、それはオリジナリティだけでなく、自己完結能力も見失わせていたようなところがあっただけで終わらない問題を抱え込んでいたいたようです。
私は商社勤めを通して工業社会に疑問や不安をいだき、商社の新たな役割を、ポスト工業社会を切り開く仕事と見据えました。しかし、理解を得られません。そこで、ポスト工業社会が容認する生活を実践し、目に見える形にすることに情熱をシフトしました。
結婚と同時に妻には専業主婦になってもらい、年老いた両親の世話も頼みました。後年母は、大腿骨の骨折と大腸ガンで人工肛門になり、重度の要介護者になりました。しかし、母は妻に介護をしてもらい、自分の布団で他界しました。
両親の世話や家事だけでなく、妻には庭仕事も一人前にこなすことを求めました。そこに見いだす寸暇の大切さに目覚めて欲しかったのです。妻はその期待に応えたかのようにして、人形創りに手を出し、人形創りに己を見いだしました。人形創りを励みにしたから今日まで続いたのではないでしょうか。主婦の家事全般、老夫婦と3匹の犬の世話、庭の管理の助手、人形作家、人形教室と喫茶店の運営などと、日々16時間働き詰めでした。
自分の裁量で、思い通りに振る舞える世界であったわけです。自分の裁量でどうにでもなる多忙は、工夫の母であり、創造性を刺激するに違いない、と私は見ました。それが己と、己の生きる喜びを見いださせるに違いない、と私は体験的に睨んだわけです。苦痛ではなく、自信と誇りの源泉にできるはず、とかんがえてみます。
私は、化石資源に過剰に頼る使い捨ての生き方から脱却するために、循環型の生活を可能にする庭造りを励みにしました。だから勤め先での仕事にも思う存分ぶつかれたのだと見ています。要は、循環型の生活を繰り広げることによって、生活の営み自体を創造活動にしたことがよかったようです。消費の喜びに翻弄されなくて済ませられました。
工業社会は、お金さえあれば何一つ不自由することなく、しかも他の人との関わりに悩まされることなく、生きられそうな錯覚を与えます。しかしそこに、落とし穴が仕掛けられていたように思います。要は、手段であるはずのお金を、目的であるかのように思わせ、執着させるところに落とし穴があったようです。時間を無駄使いさせるだけでなく、心身まで蝕みます。
小学校から中学校にいたる学友の中には、農家の子どもが多く混じっていましたが、先生の中には「頑張って勉強しないと、都会に出てよい嫁さんをもらえないよ」と急き立てました。虫を虫ケラと見たり、土や泥を汚く見たりする大人もいました。私が育った町内には20名弱の子どもが居ましたが、私を除く他は、すべて都会に出ていってしまいました。
妻は、私が長期出張の間は、家事全般の他に、畑仕事だけでなく、肥やし汲みもしなければなりませんでした。それを見て、酷いことをさせている、と思った人もいたようです。でも、そこには、私は体験的に、お金で手に入れられるモノやコトはたかがしれている、と思うようになりました。お金で手に入れられるモノは、いずれはゴミにして捨て去るモノにすぎない。お金で手に入れられるモノは、ほとんどが潜在的な廃棄物である。コトは一過性の喜びを感じさせるだけに過ぎない、と思うようになったわけです。
1994年に、ドイツは循環経済廃棄物法を成立させましたが、それは国家から新製品という概念をなくす法律でもあったわけです。新製品と思っていたモノは、潜在的破棄物であったと国家レベルで気付きあったわけです。
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