「ラジオビタミン」は台本がない番組でした。チーフアナウンサーの村上信夫さんと、この番組をアシストする歌手の神崎ゆう子さんの上手なリードと笑顔に導かれ、あっと言う間に小1時間が過ぎさってしまいました。
洞爺湖サミットに照準を合わせた週でしたが、その最終日に私たちは「森に住んでいるエコ生活」の実践者として選ばれました。ですから、テーマはエコ生活と人形創作に絞られました。
エコ生活は、暮らしを豊にするために始めたこと、と訴えたかったのです。問題は、家族がココロを一つにして助け合わないと実現しにくいことです。あえて言えば、そのココロを一つにする約束事が、あるいはうまくココロを一つにする触媒が文化であろう、と私は見ています。文明は、この助け合いを不要にし、人間を助け合いの関係から主従の関係にし、暴力や金力で操作できるようにする一種の装置、ではないでしょうか。
ここをしっかりと見据えておかないと、つまり文明の利点を手放そうとせずにエコ生活を始めようとすると、窮屈さや面倒くささだけが気になってしまう。あえて言えば、これまでの消費型社会を延命させるために「せめてリサイクルぐらいは」との考え方に偏ってしまい、問題を先送りさせてしまいかねないでしょう。
そのような気持ちで話を進めていると、妻が「創ることは生きる証」との「身上」に触れました。要は、エコ生活とは「消費型生活から創造型の生活に切り替えること」との身上に触れたのです。同時に、自然を疎外するのではなく、自分を自然の一部と位置づけることが大切だと臭わせました。つまり、自然のシステムに支えられた生き方が大切、と訴えたのです。
そうなると私の身上と方程式も披瀝したくなります。エコ生活では「自然の恩恵に浴そうとすることが大切」ですが、それは「偶然と創造を尊重し、日々の生活の営み自体を芸術のように位置づける生活」と考えてよさそうです。なにせ自然は、2度と同じことを繰り返しませんし、2つと同じものを生みださないのですから。これが身上その1で、いわば「手段としての身上」です。その2は「目的としての身上」で、それは「1つの地球で済ませたい」です。この身上は、すでにこの週記で触れたことですが、番組では次のガンジーの言葉も添えました。
インド人がイギリス人のような生活をすれば、あと地球が幾つも必要になる、との指摘です。現実に、今の日本人の生活を、すべての地球人が真似るには2.7個の地球が必要になる、との計算が出来ています。いまや日本の10倍の人口をかかえる中国が日本並みの生活を目指しています。地球の破綻は目の前に見えています。
方程式は、この週記で過日触れた「希望=ハードル×自己超克」です。
文字にすると難しくなりますが、お2人のソフトなリードのおかげで、優しい言葉で語らえたように感じました。番組の途中でも、それ以上に番組の後で、多くのご意見をファックスなどでもらいました。自宅の電話には留守電が入っていましたし、翌日お訪ね頂いたご夫婦もあれば、多数のハガキやメールをいただきました。
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