記憶と記録

 

 記憶と記録がどれほど異なるか、早く気付いた人は幸せだと思います。私はあるときから、旅行など異文化に触れるときはとりわけ、克明にメモを取るようになり、さまざまなことで助けられています。その最大は、誤解の解消であり、反省の機会を与えられることです。

 このたび、ジェニーのためにアイトワ塾生がバーベキューパーティを催しました。きっとその折に、フナ寿司を持参する塾生がいると私は読みました。そこで事前に、ジェニーにフナ寿司のなんたるかを説明しました。さもなければ、記録を取らないジェニーは、いつまでも「酷いモノを食べさせられた」との記憶を持ち続けるに違いない、と睨んだからです。

 かつて同じような体験をした私は、記録のおかげで、その意味するところを後日気付かされ、救われています。