農家楽

 

 中国の農家が繰り広げる観光事業のことですが、そのあり方について語らいました。中国の人口13億人の内、9億人が農業従事者ですが、残る4億人との間に生じた格差が、制度上の問題もあって、次第に広がっています。

 農家楽を、その格差を縮めるための観光事業だ、と短絡に考えたら、異なる悲劇を生じさせかねない、と危惧する意見がありました。駆け引きやお金に対する意識の差をはじめ、むしろ格差を広げかねない要因が余りにも多い、との心配です。私もそう思います。雲南省の元陽県で、その実例を垣間見てきただけに心配です。

 根本問題は、工業化による中国の繁栄をどう見るか、にありそうです。それは環境破壊や資源枯渇、あるいは食糧危機などの問題を深刻化し、人類史の破滅の始まりになりかねません。その触媒になるような農家楽になったのでは大変です。

 ディスカッションを重ねながら、私は映画『水になった村』を思い出しました。人里離れた不便な地域で営々と世代を重ねてきた1600人の村人から、その生きる基盤であった地域を、町の人の電力需要などの都合で取り上げ、移住させた顛末を浮かび上がらせた記録映画です。

 取り上げた方は、元村人を移住保証に伴う「成金」と見ましたが、元村人の中には「何もかもを失った」と嘆く人がいました。また、移住後に生活破綻者も出しました。

 この失わせたものは何か。なぜ生活を破綻させたのか。

 中国の農家楽は、その何かを自ら見捨てさせるようなことに結びつけないか、その生活破綻を加速させないか、と心配になりました。それは中国の悲劇では済まない問題を含んでいそうです。

 それはともかく、ディスカッションの後で、わが家の菜園で採った四葉キュウリとナスの古漬けとともに、皆で「フナ寿司茶漬け」を賞味しました。フナ寿司は塾生の1人からジェニファーのためのバーベキューパーティへの差し入た代物でしたが、残しておいたのです。ジェニファーは異文化のよって来る所以などには興味がないようで、見向きもしなかったからです。

 実は、フナ寿司は雲南省あたりから日本に伝わったものと見られているだけに、とても後味がよい勉強会になりました。ゲストに招いた中国からの留学院生は漢族の出で、フナ寿司は初めてといって当初は躊躇していましたが、私たちに倣って食べていました。
 
 フナ寿司茶漬けの世話をした妻も、皆さんと一緒にいただきましたが、近頃ではフナ寿司茶漬けの味が分かるようになったようです。
 


皆で「フナ寿司茶漬け」を賞味しました