私はときどき、「これを幸いに」とばかりに異常な体験を前向きに受け入れることがあります。たとえていえば、激しい喉の渇きを体験せずに、己の小便を飲む人を浅ましいと見たり、その辛さなどを軽々に云々するのはいけないように思います。ですから、このたびの灼熱の土曜日を、その体験の機会と見て喉の渇きに挑みました。
長袖のスエットシャツと布帛のパンツ、そして綿の長ズボンが汗でグショグショになりました。その最中に、ふと硫黄島戦を思いだし、その辛さを忍んだのです。その辛さは、この私の辛さの4桁ほど、つまり10000倍ほど酷い辛さではなかったか、と想像しました。
私はいつでも水を飲もうと思えば飲めましたが、硫黄島戦ではそうは行かなかった。私は青空の下でしたが、閉ざされた洞穴の中は硫黄の匂いでムンムンとしていたはずです。私は備中鍬をふるうだけでしたが、洞穴には火炎放射器の炎や手榴弾が飛び込んできました。私は自分の意志でいつでも中止できましたが、兵士はそうは行きませんでした。
そのようなことを考えながら、ついに水を飲んでしまい、行水をし、テレビを見ながら妻に注いでもらったビールを飲み干しました。テレビは、京都の気温は38.6度で、真夏日が始まって1ヶ月近くになることや、京都で68歳の男性が熱中症で亡くなったことを伝えました。
「今日も100人近くが亡くなったのだろうか」と、なぜか唐突に妻に問いかけました。「自殺者ですか」と、すぐに反応がありました。最近、近くの小倉山で首つり自殺があったばかりです。
自殺者の多発は失政が原因だと断じてよいと思うのですが、硫黄島の激戦も失政が原因でしょう。わが国では10年前から毎年3万人以上の自殺者が出ています。その数に私たちも麻痺しているのかもしれない。あの悲惨な第二次世界大戦では、ヨーロッパ戦線を加えてもアメリカの戦死者は軍人545.108人。日本は軍人約270万人、内餓死者が7割と見られています。民間人は約100万人。
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