中国にとっても隠蔽しないほうがよい

 

 去る3月1日の当週記で、「私なら」と中国の採るべき態度に触れました。「でも、そうでなくてよかった」と結びました。なぜなら、この事件をきっかけにわが国の各家庭で、手料理が復活することを願ったからです。

 その後、先月20日の当週記で、商社時代の仲間の発言に触れました。中国通の彼は、冷凍餃子問題に関して、賢い中国人は「原因は中国側にあった、と気付いている」「問題が長引き、おびただしい数の中国人が失業している」と訴え、「それにしても、なぜ日本人は冷凍餃子を食べるのだ」「家族で造って、家族で食べるものと違うのか」と問いかけるそうです。

 このたびの隠蔽事件でわかったことは、「あってほしくない」と考えた中国の幹部の思いが、失業問題を生じさせただけでなく、中毒という犠牲者まで出させたということです。

 それはともかく、これを契機に、中国人も冷凍餃子を買い求め始め時代の幕を開けるのでしょうか、それともこれに懲りて家庭で作り続けることにするのでしょうか、気になります。

 中国では、お正月も餃子で祝うそうです。貧しい家庭では、お正月に家族で造る餃子のために、何ヶ月も前から食材の用意を始めるそうです。こうした準備だけでなく、煮炊きなどができるのは人間だけの強みだと私は思います。