皆さんを送り出す途上での質問でしたから、簡単に答えました。それなりの収入があったようだ、と推測してもらえたことでしょう。本来は、もっと時間が取れるときにしてもらいたかった質問です。
数千万円もかかりそうな建物をどうして造れたのか気になられたのでしょう。それこそ私たち夫婦が誇りにしている部分だし、多くの人に気づいてもらいたいところです。
私は「妻が10年がかりのヘソクリをして建てました」と答えたかったし、妻なら「いいえ、私たち夫婦が数年間もヘソクリにつとめれば建てられます」と修正したかったことでしょう。でも、それで「わかった」と思ってしまわれたら、大変な誤解を与えかねません。ですから、ゆっくりと補足説明できる場と機会を選んでもらいたかったのです。
その答えは、当週記の7月6日の分で、(5月10日の「時事」の記事をそえて)すでにしています。アメリカの専業主婦が1年間に携わった家事労働を外化し、それぞれの専門家に請け負ってもらっていたらどのくらいの経費がかかっていたのかを試算した研究結果でした。年間で1200万円とはじいていました。それから推測すると、わが家では、年間妻に2500万円相当の家事労働をしてもらっている、と思います。
外食はしません。私だけでなく、両親がいたときは両親の散髪も妻がしました。そうした外化のために使う時間が、たとえば着替えたり、待ったり、気持ちを切り換えたりする時間が惜しいのです。もっと楽しいことに没頭できるようにしたいのです。そのための時間を作りたいのです。
工業社会は、すべての人を消費者に仕立て上げ、工場で作った複製品にあこがれさせ、消費の喜びに浸らせようとしています。そこで問題にするのは、そうした社会を維持するために、単身赴任や過労死はもとより、資源枯渇や環境破壊を推し進めていることです。それは、緩慢なる皆殺し作戦に参戦させていることで、そこに不安を禁じえないのです。
それよりも何よりも、人間がもって生まれた潜在能力や個性を眠らせたままにする陰謀のような点も気になります。かつては、すべての主婦がお袋の味を創り出し、子どもになじませました。嫁に行くと姑に学び、その家庭の味をマスターし、そのころには嫁の天下になりました。
そこに伴う苦労もありますが、加えて創造の喜びを覚えたら、伴った苦労が大きいほど、得られる創造の喜びは大きくなる。消費の喜びなんてタカが知れている、と思うようになります。創造の喜びに浸っているうちに、生活費が月に10万円も要らずにすんでしまった、という月々が続いてしまうわけです。外化にともなう消費支出がヘソクリのように浮いてくるわけです。それを、創造的生活のために投資に回せばよいわけです
妻は人形づくりでしょうし、私はエコライフガーデンつくりで、寸暇を惜しんでいます。
|