長谷川夫妻の紹介で、そして長谷川夫人の道案内で、この催しのあとは無農薬有機栽培の農家、平間夫妻のお宅を訪ね、泊まりました。この平間夫妻@がこの旅で出会った3組目のすばらしいご夫婦でした。2組目は、雑穀アドバイザー辻本さん夫妻で、ご主人はバーベキューパーティの準備に駆けつけ、1人で裏方を演じていました。この夫婦は牛糞を主材とする有機肥料の製造販売をしています。
その後、私たち2人はその一帯の博物館などを1泊2日でめぐり、紋別の友を訪ねました。この友も夫婦で助け合って生きていますが、私たちをある農家に案内しました。私たちの食材とする野菜を求めて訪れたわけですが、そこでもすばらしい夫婦Aに出会いました。1反3畝の畑で無農薬有機栽培野菜をつくり、契約した家族に1週間単位で野菜を配っていました。
その夜は友の家で泊まりましたが、そこに友は燻製屋を営む夫婦を招きました。この夫婦も助け合って暮らすすばらしい夫婦だと見ました。
話はさかのぼりますが、平間夫妻のお宅での会話で、とても厳しかった時代の話が出ました。私は昔の臣民の時代を振り返りました。そのころは、1人では生きてゆけなくとも「夫婦になれば何とか生きてゆける」と考えて結婚するケースが多かったものだ、と指摘しました。
その典型的な事例を、遠軽地方の農家や農産物にかかわる人たちの生活に見た思いがしたからです。そうした夫婦の間にこそ、お互いになくてはならない存在意義が生じたようですが、わが家ではその存在意義を大切にする生き方を目指していたわけでもある、と追認しました。
ところで、臣民時代は、アイヌなど少数民族にそれに倍加するような苦難を強いていました。その生活ぶりも知りたくて、博物館めぐりにも時間を割いた次第で。
国家が生まれたり行政などの手が忍び寄ったりする前の、家族が肩を寄せ合った生きる和やかに生活Bに思いを馳せました。もっともその生活は、とても寒い冬の生活に耐えるなど辛い一面もあったでしょうが、私はそのつらさはなんとも思わない。
こうした会話を交わしながら、頭の中で、臣民は赤紙1枚で命を召し上げられたりしたものですが、現在は赤紙は来ませんが、もっとつらい事態に追い込まれる夫婦が現れている、と思ったものです。
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